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34歳。子宮頸がんの前がん状態、高度異形成と診断されて。【体験ブログ】
子宮を全摘手術。治療、診断、手術を行いました。
子宮頸がんの前がん状態、高度異形成が発覚したのは結婚して間もない頃でした。
年齢も34歳と、決して若くはなかったのでマタニティチェックがてらに婦人科で受けたがん検診でした。
検査は細胞診といって、綿棒で子宮頸部の組織を少しこすり取る検査でした。
特にその時も痛みや出血もなく当然何もないと思っていました。
しかし、2週間くらい後に届いたはがきには「要精密検査」と書かれていました。
ビックリしましたが、この時はまだ大したことはないだろうと、まさか自分が手術するなんて思っていませんでした。
精密検査を受けに行った病院は市内でも大きく、技術も高いと評判の病院でしたので安心して相談する事ができました。
精密検査は「コルポスコピー」と言って、子宮頸部に酢酸をかける事で病変部分が白く変化するので、その部分にねらいをつけ、小さなはさみのような器具で組織を切り取って検査するというものでした。
「痛くないですよ」という医師の言葉を信じてあまり何も考えずに診察台に上がったのですが、3~4か所くらい切り取って、最後の方にはもう痛みで意識が朦朧としていました。
その結果出てきたのはあり得ない内容でした。
私の病期は「子宮頸がんの前がん状態、高度異形成」と説明され、「円錐切除術」という手術が必要だという事でした。
これまで大きな病気になった事がなかった私はものすごいショックで落ち込みました。
でも医師は、この手術で取り切れれば妊娠も出来るし、そう悲観する事もないですよ、
早期にわかって良かったですね、
という前向きな言葉をいただきました。
それからあれよと言う間に入院の準備などが進み、手術の日。
腰椎から麻酔をするのがとても怖くて、痛くないと聞いていたし、実際いたくなかったのですが、
あまりの恐怖に号泣してしまいました。
しばらく、意識はあるので恐怖に身を固くしていましたが、足元の遠くの方で医師の声や看護師の声が聞こえ、自分が手術されているという感覚すら全くない状態でした。
術後の病理検査でも、術前の診断と同様に「高度異形成」と変わらず、ガン化はしてないという事でした。
また、「断端陰性」と言って、切り取った病変部分だけでなく、残っている側も陽性の反応は出ていませんという結果に安堵しました。
術後の経過は細胞診で見ていきます。
気がかりだったのは術後3か月検診ですでにクラスⅡだった事。
断端陰性だったのになぜⅠではなくⅡなんだろうと不思議でした。
医師曰く、軽度のびらんなどでもⅡは出るから大丈夫ですよ、との事でした。
それからさらに3か月後、届いたはがきにはクラスⅢ・・精密検査が必要です、と書かれていました。
またあの痛いコルポスコピー検査がイヤで医師と相談に相談を重ねてしたのがHPV検査でした。
子宮頸がんはHPVウイルス感染で起こるガンですが、その型には高確率でガン化するものとそうでないものがあります。
その型をとりあえず調べてみる事にしたのです。
この結果はやはりハイリスク型でした。
先生からは再度円錐切除する事も提案されましたがどうしても踏み切れず、クラスⅢのまま1年が経過した頃の事でした。
あまりにもハイリスクの状態が続いているのでもう今日は絶対に検査してください!とついに怒られてしまい、痛み止めの座薬をもらって何とか検査する事にしました。
精密検査の結果は、細胞診よりさらに悪化した0期の扁平上皮癌と言われました。
なるべくなら子宮全摘出を、0期なので全摘すれば転移などの心配はないから、との事でその日はいったん帰る事に。
イヤな予感がずっとしていたので、心のどこかでは全摘に決めていましたが、夫とも相談して子供が望めない事など話し合って決めました。
手術は腹腔鏡で行われ、腹部に1センチくらいの穴を3か所開け、そこからメスなどいれて子宮を切り離し、最終的には膣を通して子宮を取り出すというものでした。
順調に手術も終え、取り出した子宮はさらに病理検査に回されるとの事でしたが、この時点では特に所見などもなかったようで、術後5日ほどして退院となりました。
これでもう解放された、と思っていた術後1か月検診の時。
医師からは思いがけない言葉が発せられました。
「病理検査の結果、ガンがクラスアップしていて0期ではなかったんです。もう少し進んでいてⅠB1期でして。」
そういわれてもすぐに意味が分からず、何か良くない事を言われているような気はしましたが、
「え?!でも大丈夫なんですよね?」
「いえ、実はがんが進んでいたので追加で治療が必要なんです。放射線治療と言って・・・」
医師が説明している話を聞いているうちに、「ああこれはもうダメなやつだな」と思い、涙がこぼれました。
放射線治療と聞いてすごく怖くなってしまったんです。
それに、本来その病期では、現在の日本ではリンパ郭清といってお腹の中のリンパ節も切除する手術が一般的だそうですが、私はそれをしていないため、可能性としてはとても低いけれど、ガンが転移している可能性があるとも言われました。
その可能性を叩くために放射線治療をするという事でした。
そういう目に見えないところにガンが散らばってしまっている可能性を考えるのも怖かったですが、一番ショックだったのは卵巣機能が放射線治療によってなくなってしまう可能性が高いという事でした。
それからというもの、ネットで放射線治療の事を色々調べましたが、治療後の痛みや違和感などのネガティブな情報が多く、転移していない可能性にかけて治療しないという選択はないのかなど医師に掛け合ったりしました。
当然医師としては治療しない選択はない、との回答。
セカンドオピニオンも考えましたが、病期が確定している今それをしてもあまり意味がないのかなと治療を受け入れました。
このあたりまでくると肚が据わってくるというのか、がんの転移よりも卵巣機能がなくなる心配をしている自分を思い返してみると、まだまだ生きる気力があるんじゃないか、と自分が愛おしく思えました。
治療は1か月半の長きに渡り、毎日15分ずつ放射線を当てるというものでした。
放射線を当てている時間自体はものの数分。
その前に照射位置を固定したりするのに少し時間がかかるくらいで、全体でも10分くらい。
それが3回目くらいの時でした。
食べ物が喉を通っていかない、食べ物のにおいがすると吐き気がする、歯磨きをしようとしたら吐きそうになる、下痢、倦怠といった症状が出始めました。
最初は寝てれば治るかな、くらいに思っていたのですが、次第にそれは強くなり横になっているだけでも辛かったです。
結局治療期間中は入院しましたが、退院する時には5キロ以上体重が減っていました。
ひどい下痢、吐き気は退院後1か月くらい続きました。
また退院後は女性ホルモンの値が閉経後のそれと同等の値となっていましたので、ホルモン充填治療も同時に始めました。
治療終了からはようやく1年が経過しました。
今一番に考えているのは自分の身体を最優先させることです。
好きな事をやる事、嫌な事はしない事、疲れたら休む事等々、当たり前のようですが、それまではそんなことが出来ていなかったです。
ガンと宣告された方なら恐らく、どなたも少しは「死」というものの淵を覗いたことがあるのだと思いますが、私の場合、死の淵を覗いた時に「このまま死ぬのは嫌だ、まだ何も好きな事してない。というよりは嫌な事しかしてない」と思ったのです。
今は仕事もセーブして自分の為に時間を、お金を使う生活をしています。
治療の後にはやっぱり後遺症ともいえる症状がいくつか残りましたが、気持ちの上ではとても新しく生きていけているような、そんな気持ちにさせてくれて、病気になった事で色々大切な事に気づくことが出来た事は良かったと思っています。
これらは命があるから言える事です。
検診、検査は本当に大切です。みなさんも年に一度、ぜひ受けて欲しいと思います。