乳がんで右乳房全摘。告知から現在の治療内容は。【体験ブログ】
私は平成22年春、乳がんと診断されました。
私が乳がんと診断をされる半年前、市の乳がん検診でマンモグラフィーと触診だけは受けていて、「異常なし」という結果を郵送で受け取っていました。
でも、後になって「乳がん検診はマンモグラフィーと超音波を受けるのが良い」ということを知りました。
日本人女性は乳腺が高濃度である「高濃度乳腺」という人が多いということで、がんがあるにも関わらず、乳腺の密度が高いので、なかなか早期発見につながりにくいのだそうです。
私の場合は乳がん検診から半年後に右胸のしこりに気づき、「あれっ?!何だこれ」と思いました。
そして乳腺科クリニックを受診して、触診・マンモグラフィー・超音波・細胞診の後に乳がんと診断されました。
がんが見つけにくい場所に乳がん発生
私が先生に「乳がん検診も受けていたのに、後になって乳がんでした」ということがあるのかを聞いたところ、「(私のがんは右乳房の内側上部にできていたので)ここは、がんが見つけにくい場所なんです」と言われました。
確かに、そう言われたら乳房の上の方はマンモグラフィーに写り込んでいるか・いないかが微妙だな、とずっと後になってから思いました。
でも、その時にはもう、しこりは6cmの大きさになっていて
「しこりだけを取ってくる部分切除ではなく、乳房を大きく取る手術になる」
ということと、
「脇の下のリンパが腫れているから、がんの進行度はⅡ(b)かⅢ(a)でしょう。抗がん剤の治療が先になって、がんを小さくしてから手術になると思います。大学病院を紹介しますから」
と淡々と説明をされました。
「がん=死」、「もう生きられないんだ」と思いました。
そして小刻みに足が震えて、頭の中が思考停止の状態になってしまったような気がしました。
母と姉と、祖母の顔が頭に浮かび「嫌だ、死にたくない!」と思いました。
「どうやって母に言えば良いのか?」とても言えそうにないなと思ったし、祖母よりも早く死にたくない。それだけは絶対にできないんだ!」と思いました。
翌日、大学病院を主人と一緒に受診しました。また同じマンモグラフィーと超音波の検査をしました。
前日と違っていたことは、「左乳房にも、がんを否定できないしこりがある」と先生に言われたことでした。
右乳房は「がん」という診断が確定している。でも、左乳房も失うかも知れないことに大きなショックを受けました。
「乳腺科のクリニックの先生は、どうして教えてくれなかったのだろうか?」
と少し思いましたが、「あまり次々に、多くの内容を話しても私が受け止めきれない」ということを考えてくれてのことだったんだろうな、と思いました。
右乳房のがんが確定した日の夜は、一睡もできずに夜を過ごしました。
「自分が死ぬ」ということが妙にリアルに感じられ、自分のお葬式を見ているような感覚に襲われました。
私はその頃、毎朝の体重と体脂肪を測る習慣があったのですが、「がん告知前後」では体重が2kg落ちていました。
精神的に厳し過ぎる状況に置かれると、体重はすぐに落ちることを痛感しました。
眠れずに過ごした夜はとても長く、寒く感じられました。
季節が春先ということもあり、主人が桃の花や桜の花見に連れ出してくれました。
次々に花が咲いていく様子が「頑張れ!負けるな!寒さが厳しい冬を乗り越えて、私達も花を咲かせることができたのだから、今度はあなたの番よ」と花に、自然に教えられているような気がしました。
花も、空も、風も、小さな昆虫も、みんな各々、命を与えられて一瞬、一瞬を生きていることを思うと「どんな瞬間も愛おしい」と思えるようになりました。
右乳房全摘・化学療法・放射線治療・ホルモン治療を経験しました。
現在はホルモン治療の内服薬を飲んでいます。
内服薬を飲む期間は2020年の1月までです。あと3年、無事に終えられる日がくることを信じています。
「冬は必ず、春となる」、「止まない嵐はない」といわれるように、決して希望を失うことなく過ごすことはとても大切だと思います。
あとは「がんを乗り越えた人」から学ぶことも、とても大切だと思います。