乳癌から15年、おまけの人生を明るく過ごしています【体験ブログ】
病院へ検査に行くことを恐れていたのでしょうか。
15年経った今でも、夫と宣告を受けた大学病院の診察室での情景は、先生の言葉も診察室の情景も全てがはっきりと思い出すことができます。
その時は何故かまさかの思いと、他人事のような感覚だったのかもしれません。
お風呂で何となく触れるしこりも、「まさかね」の毎日だったのでしょうか。
病院へ検査に行くことを恐れていたのでしょうか。
検査に行こうと思い立つ日までは、思えば2年程経っていたような気がします。
始めて訪れた乳腺科の担当先生は、幸いにもとても良い先生でした。
常に患者さんに寄り添い最善の方法を一緒に考えてくださいました。
初診の日にすぐに、細胞診・マンモグラフィー・CT・MRI・レントゲン・・あらゆる検査の結果、やはり乳癌でした。
私も47歳でしたので、若ければ進行も速いという事もあるのでしょう。
直ぐに手術の日程を決め、手術の詳しい説明や今後の治療方針について説明を受けました。
先生との話し合いの結果、温存方法を取りました。
腫瘍を取り除き、万が一のため術中に腋窩(えきか)リンパ節郭清(かくせい)を行う、転移が多ければ、全摘の場合も有りうること。先生の説明がとても落ち着き優しく説明してくださるので、こちらの不安材料はありませんでした。
結果は2cm程の腫瘍に加え、リンパ節に2個の転移が見つかり、全てのリンパ節は取り除かれました。
術後の治療としては、患部への25回の放射線照射と私の場合は飲み薬の抗がん剤は効かないので、点滴による抗がん剤投与でした。
子供がまだ小さかったことを考慮してくださり、抗がん剤は子供たちの夏休みに日程を組み、先に放射線を行いました。
毎日一か月以上通院して放射線だけを受けるのも、大変だった気がします。
夏休みに入り抗がん剤投与の開始です。
一回目は入院しての投与でした。
幸いにも気分の悪さもそれ程ではなかった気がします。
二回目の投与では、覚悟はしていましたが、自宅で入浴時にシャンプーをしていると、毛髪が抜け始めました。
癌の宣告よりもその時のつらさの方が大きかった。お風呂から出て、ドライヤーをあてていると、どんどん抜ける毛髪には涙が止まりませんでした。
その時に夫や子供がかき集めてくれたこと、つらいよねと言ってくれたことは、忘れられません。
術後からのホルモン剤は10年間飲み続けましたが、その間にも血液検査・レントゲン・CT・・・一年に一回は骨に転移していないかの骨シンチ・・
10年が過ぎ、先生からようやく卒業だね。の言葉はとてもうれしかったです。
抗がん剤の治療が終わった時に、毎日散歩して心身ともに元気になるようにと、夫が買ってくれたゴールデンレトリバーは、私や家族の一番の支えでした。
2ヶ月頃から新しい家族となって、きっと家族を励ます役目が終わったという事なのでしょうか、昨年11歳で旅立ってしまいました。
私も60歳、還暦という人生を一回りした年齢になり、これからのおまけの人生をどのように生きていこうか模索中です。
乳癌という病にかかり、苦痛はありましたけれど、たくさんの出会いや経験をもたらしたのかもしれません。
何といっても家族の支えはもとより、良い先生に巡り合えたことはラッキーだったのでしょう。
今でもその先生とのお年賀状のやり取りが続いています。