林家木久扇 ガン

初期の喉頭がんが見つかり、放射線治療を受けています。

林家木久扇さんは、1937年10月19日生まれで本名は豊田 洋、旧名は初代林家木久蔵で、日本の落語家・漫画家・画家であり、日本テレビ系列のテレビ番組「笑点」でおなじみです。

そんな林家木久扇さんは、喉の違和感を感じて検査をしたところ初期の喉頭がんが見つかったため、放射線治療を受けています。

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林家木久扇さんの芸歴、経歴は?

林家木久扇さんは、実家は商売をしており比較的裕福な幼少期を過ごしていました。

しかし、太平洋戦争による使用人の出征、東京大空襲による店の全焼など被害に巻き込まれて、家族が離散してしまったため、小学4年生の時から新聞配達をして家計を支えていたそうです。

そのような経験からか、「現在の多くの若い落語家は経済観念が欠落している」と批判しています。
1944年、青森県八戸市へ疎開し、八戸市立柏崎小学校に入学します。

1945年3月10日、東京大空襲で実家の雑貨問屋が全焼し、廃業することになってしまったため、1947年頃 西荻窪に移ります。

しかし、その後、両親が離婚してしまったため、林家木久扇さんは母側に引き取られます。

1956年3月、東京都立中野工業高等学校の食品化学工業課程を卒業し、同年4月、森永乳業に「食べ物に苦労しない」という理由で入社します。

同年8月、漫画家を目指すため、森永乳業を退社し、漫画家清水崑に入門。
その後、1958年に自身の漫画が「漫画サンデー」に掲載され、プロの漫画家デビューを果たします。

しかし、1960年、師匠清水崑さんに諭され、落語家への転進を薦められたため、1960年8月15日、落語界入りし、清水崑さんの紹介で3代目桂三木助さんに入門します。
桂三木助さんは弟子には「木久」の字をつけていたので、林家木久扇さんは木久男の名をもらいます。

1961年1月16日、師匠桂三木助さんが死去。 同年3月10日、林家木久扇さんは、後の林家彦六である、8代目林家正蔵一門へ移籍し、「木久蔵」と改名します。1965年9月、二つ目に昇進。

現在のメンバーで一番連続出演期間が長いメンバー

1967年5月、林家木久扇さんは、当時の本牧亭席亭の妹(武津子夫人)と結婚しますが、結婚式のダブル・ブッキングをしてしまい、来賓が激怒してしまったそうです。

1969年11月9日、「笑点」のレギュラーとなり、桂歌丸さんは、手術に伴う休演があるため、現在のメンバーで一番連続出演期間が長いメンバーとなっています。1973年9月には、真打に昇進します。

1975年9月29日、後の林家きくおさんで2代目林家木久蔵である、長男・宏寿さんが誕生します。
同年12月、シングル「酔姫エレジー」をリリースし林家木久扇さんは、歌手デビューを果たします。

続いて、1978年にシングル「いやんばか~ん」をリリースし、1979年には、シングル「とびだすな!!」をリリースします。
1981年12月、日本では初めてとなる、ラーメンについての単行本を出し、ラーメン・ブームの火付け役となりました。

1982年1月29日、師匠である林家彦六さんが死去してしまいます。そのため、同年2月7日放送の「笑点」において、彦六さん追悼特集に兄弟子2代目橘家文蔵さん、現在の7代目春風亭栄枝さんである林家枝二さん、現在の三遊亭好楽さんである弟弟子林家九蔵と一緒に出演しました。

「木久蔵ラーメン」のチェーン展開を始めます。

同年5月には、全国ラーメン党を結成し、林家木久扇さんは、その会長に就任して、「木久蔵ラーメン」のチェーン展開を始めます。

同年10月27日、「有限会社トヨタアート」を設立し、これが現在の事務所となっています。同年12月、総領弟子林家時蔵さんが、兄弟子の5代目春風亭柳朝さん門下より二つ目で移籍(時蔵は、元は弟弟子)してきます。

なお、子飼いではないためラーメンの販売やいやんばかんダンスは免除されているそうです。

1987年 4月には、2番弟子(2番弟子は香盤上であり、子飼いでは総領弟子)林家きく姫さんが入門し、1989年には、3番弟子林家彦いちさんが入門してきます。

1991年、林家木久扇さんは芸歴30周年を迎え、1992年には、社団法人日本漫画家協会正会員、社団法人落語協会理事に就任します。

1991年、4番弟子 林家久蔵が入門し、1995年には、現在の2代目林家木久蔵さんである5番弟子林家きくおさん、1996年には、6番弟子林家きく麿さんが入門します。

1998年には、アニメ映画の大長編ドラえもん「ドラえもん のび太の南海大冒険」にて、声優に初挑戦します。

2000年4月、林家木久扇さんは初期の胃がんであることが発覚したため、その後、5月に手術を受けています。2001年、芸歴40周年を迎え、2002年には、7番弟子林家ひろ木さんが入門。

2005年には、JAROのCMキャラクターになり、2006年には、野村證券のCMにも出演しています。

2012年4月には、メガマソのボーカルのインザーギのカバーアルバム「Visualist ~Precious Hits of V-Rock Cover Song~」のジャケットにビジュアル系の衣装を身にまとって登場しています。

同年9月には、ももいろクローバーZ扮する桃黒亭一門の曲である「ニッポン笑顔百景」に参加し、楽曲中にて小噺を披露しています。

2014年7月、初期の喉頭癌により約1カ月半に渡って休養することを明らかにしました。

そして、自身の77歳の誕生日である同年10月19日放送(9月27日収録分)で笑点に復帰しています。
林家木久扇さんは、「今回の喉頭癌は廃業の恐怖と隣り合わせでした」と当時の心境を語っています。

喉頭癌の診断後、林家木久扇さんは「週5」の放射線治療を受けたのですが、この治療が終わってからもしばらくは思うように声が出なかったそうです。

この声という「商売道具」を失う危機感が本人を襲っていたのですが、その後、無事に声も戻り、前述の通り、笑点の収録への復帰を果たしています。

林家木久扇さんが笑点に戻ってくるまで、新聞の番組欄には、毎回応援のメッセージが掲載されていたそうです。

林家木久扇さんが無事に癌治療を乗り切ることが出来たのは、このようなファンの方々や復帰を待つ焦点の仲間からの応援があったからだといえるでしょう。

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