間寛平 前立腺がん

アースマラソン中、トルコにおいて、間寛平さんは前立腺がんを発症

間寛平さんは、1949年7月20日生まれで高知県宿毛市出身、よしもとクリエイティブ・エージェンシー東京所属の、日本のお笑いタレント・俳優・歌手であり、レゲエシンガーでもあります。

間寛平さんは、吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を得ており、「アヘアヘアヘアヘ…」、「ア~メマ!」、「かい~の」などのギャグで有名です。
また、趣味のマラソンにおいては、2008年にマラソンとヨットで世界一周をすると言うアースマラソンに挑戦し、2年1ヶ月の長旅を終え、無事に日本に帰国されて話題になりました。

しかし、このアースマラソンをはじめてから2年後、トルコにおいて、間寛平さんは前立腺がんを発症している事が判明したのだそうです。

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間寛平さんは、愛媛県との県境にある高知県宿毛市橋上町出井の出身です。

間寛平さんの間の姓は母の再婚相手の姓であり、実父の姓は岡村ですが、その実父は間寛平さんが生まれる直前に23歳の若さでありながら、結核で亡くなっています。

実父は分家筋の出身だそうですが、彼の家は木材の切り出しなどで糊口を凌ぐなど、一族全部が困窮を極める有様で育ちました。

そのため、15歳で地元の営林署の木材切り出し人の給与算出係をし、太平洋戦争の終戦間際に海軍の兵卒に志願するという苦労を重ねていたそうです。

実父と母の馴れ初めは、戦後間もない頃の、地元の青年会の演劇サークルであったとのことです。

間寛平さんが4歳の時に近所の人の紹介で、母は木材の切り出しをしていた男性と再婚し、一家で宇和島市に転居しました。

しかし、木炭の需要減少によって、林業では食べていけなくなり、間寛平さんが12歳の時に大阪市住之江区に引越しましたが、この頃、亡き実父の存在を間寛平さんは知ることとなったそうです。

1968年、間寛平さんは高校卒業後、石原裕次郎さんに憧れて上京し、歌手を目指します。

しかし、挫折して大阪に戻り、様々な職を転々とし、社会人の経験も積みます。
1969年、岡八朗さんらが出演していたラジオの公開収録において、岡八朗さんと知り合い、岡八朗さんが当時所属していた千土地興行の千日劇場に出入りするようになります。

千日劇場の閉鎖後、間寛平さんはトップホットシアターを紹介され、最初に鳳啓助さんに弟子入り志願したが、既に弟子がいたために断られてしまいます。

その後、すっとんトリオさんに弟子入りし、新世界のジャンジャン横丁にあった「温泉劇場」(ストリップ劇場)に入り、幕間コントに出演して修行を積むようになります。

1970年、 喫茶店でアルバイトをしていた時に、店主の日限萬里子さんの紹介を受け、吉本興業に移籍します。

そこで、吉本新喜劇の研究生になり、花紀京さんの付き人になりますが、その同期生には桂文珍さんらがいます。

1974年には、入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格します。

1975年、間寛平さんは「ひらけ!チューリップ」で歌手デビュー

1976年には、「ひらけ!チューリップ」と同タイトルの日活ロマンポルノに主演しました。
1978年、同じ吉本新喜劇の団員だった光代夫人と結婚しますが、同年6月には、泥酔運転でジグザグ運転をしているところを逮捕されてしまい、1週間の謹慎処分を受けてしまいます。

1979年には、Wヤングの中田治雄さんの自殺をきっかけにして、チャンバラトリオの結城哲也さん、月亭可朝さんと共に野球賭博で逮捕されてしまいます。

その後、謹慎処分となり11月19日に略式起訴されました。
この賭博事件は、暴力団を胴元に吉本興業の社員が仲介人となっていた事件であり、各人10万円ずつ賭け、間寛平さんは30回の賭けで100万円の損をしたとされています。

1989年、吉本新喜劇を退団して東京へ進出しますが、自宅は宝塚に置いています。

東京では萩本欽一さんに師事し、島田洋七さんと漫才コンビを結成しますが、その後、コンビを解消しています。

日本テレビのクイズ番組「マジカル頭脳パワー!!」では、レギュラー解答者として、1991年1月から最終回まで出演しました。

1995年の阪神・淡路大震災において、間寛平さんは兵庫県宝塚市の自宅で被災しましたが、家族全員無事でした。

2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周を果たすという、「アースマラソン」に挑戦

間寛平さんは2008年12月17日、スタート地を大阪とし、2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周を果たすという、「アースマラソン」に挑戦します。

この挑戦の間、日本には一度も帰国しない予定であったため、レギュラー番組は全て降板しました。

2011年1月4日に福岡港に上陸し、2011年1月21日、2年1ヶ月、4万1000kmにも及ぶ、長い「アースマラソン」の旅を終え、午後7時43分に大阪城音楽堂を第1終着地としてゴールイン。

その後、最終終着地である、なんばグランド花月に午後8時40分ゴールインし、先輩や後輩芸人、家族に囲まれて祝福され、この様子は2時間生放送特番を組まれました。

そんなアースマラソン挑戦中に前立腺癌を発症していることが判明

前述の通り、このアースマラソン挑戦中に前立腺癌を発症していることが判明し、当時の間寛平さんは「検査に入った1週間は、不安でこのアースマラソンを続けられるのか、この病気は治るのか、ひょっとしたら死ぬのかなとかいっぱい思いました」と語っています。

間寛平さんの前立腺癌は触診では分かりにくい腹部の方に癌が出来ていたそうで、その時の癌は転移が考えられる中期だったとのことです。

その後の詳しい検査の結果、癌の転移は見られませんでした。
しかし、アースマラソンを続けたい間寛平さんにとって、どの治療を選択するのかが大きな問題となりました。

そこで前立腺がんの世界的名医である篠原克人先生と出会い、篠原先生は、最新治療であるHDR療法と呼ばれる放射線治療の一種を間寛平さんに行いました。

前立腺に放射線物質を一時的に挿入

この治療法は前立腺に放射線物質を一時的に挿入し、直接癌細胞に強い放射線を当てて殺す治療法であり、体に対する負担が少なく、尿漏れなどの後遺症の可能性も低く抑えられる治療法だそうです。

間寛平さんは2010年4月に1回目の外部照射を行い前立腺の外側のがんを殺し、その後6月1日にHDR療法を受け前立腺内部のがんを殺し、14時間に及ぶ手術は無事成功。

6月11日には大きな副作用もなくトレーニングを始め、6月18日にはトルクメニスタンへと出発したのです。

その後、奇跡的な回復を見せた間寛平さんは、その後も多くの人に支えられ2011年1月に2年1か月のアースマラソンを無事完走されました。

現在でも、間寛平さんは自分のペースで走り続けています。

今後も、いつまでも元気に走り続けていただきたいなと思います。

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