ステージ4の卵巣癌末期とその延命。【体験ブログ】

私の母親は4年前に卵巣癌と診断されました。
見つかった時点でステージ4の末期の状態でした。
データで見ると5年生存率は30%を下回ります。それでも治療を頑張ろうと母親も必死でした。
まず、腫瘍を取り除く手術が行われました。
その一部を検査に出すと良性か悪性かが分かり、悪性だとガンです。
母親の場合、CTで見たときから腹水も溜まり検査をしなくても悪性だろうとのことでしたが、腫瘍の一部を取り除いて検査をすると悪性でした。
分かってはいましたが2度も癌と申告されるのはいやなものです。
その後、腹水を抜いて腫瘍を摘出します。
その際に卵巣も全て摘出しなければならないと言われ、取らなければ死ぬということだったので悩むことも許されず全摘出を余儀なくされました。
手術をしてからはしばらく安静に過ごしていました。傷口も痛み毎日辛そうな表情をしていました。
しばらくしてから長い抗がん剤治療が始まりました。
まずは卵巣癌に有効的だと言われるパクリタキセルを打つことになりました。TCと呼ばれ、マンスリーでの予定でした。
しかし、1回目の投与の際にアナフィラキシーを起こしてしまいました。
幸い本人はすぐ意識を取り戻し命に別状はありませんでしたが、その薬は使用することができなくなってしまいました。
そのため次にDCをマンスリーすることになりました。
カルボプラチンとゆう薬剤です。
最初は順調に治療も進んでおり癌を表す数値もだんだんと低くなってきていました。
月に1度抗がん剤を打ちに行くとゆう流れで自宅にも帰れるようになりましたが、抗がん剤の副作用は大変でした。
2週間ほどしてから髪の毛がごっそり抜けてきました。
抜けるとは分かっていましたが現実を目の当たりにすると今までにない程ショックでした。
私ですらこんなにショックを受けていたのだから母親はそれ以上のショックだったと思いますが気丈に振舞っていました。
順調に進んでいると思っていた矢先、アレルギー反応が現れてきました。
そのためこれ以上この薬剤を使用するのは難しいと判断され、新しい薬に変更となりました。
ドキシルという薬を打つことになり、しばらく続けていき、数値も安定してきたため8クールくらいで治療は終了しました。
その後も月に1回は検査に行き数値が上がると抗がん剤を打つ生活が続いています。
母親はもう一生完治することはないと言われています。
そのため今後は抗がん剤とうまく付き合いながら延命していかなければなりません。