末期がん宣告後の父の人生の最後の楽しみ方【体験ブログ】
ステージ4の末期がんを宣告されるとは思ってもみませんでした。
たまたま毎年の定期的な健康診断を受診したところ、家族の私たちが父の検診の結果に関してお話があると連絡がありました。
どこかよくない部分があるのは、何となく想像はつきましたが、まさかステージ4の末期がんを宣告されるとは思ってもみませんでした。
余命3か月との診断に、私たち家族は急にどうしていいのか分からなくなり、今後の治療法の説明を担当医からうけました。
本人との話し合いの上、癌の治療法決定及び治療経過
担当医からすでに手術をしても回復の見込みが薄いとのことで、本人との話し合いの結果放射線治療等は行わず、抗がん剤の投薬のみであえて延命措置の希望を断りました。
入院もせず、通院による自宅療養という選択をしました。
本人がもう永くないなら、せめて最期は家族と一緒に過ごした自宅で過ごしたいとたっての希望でした。
最初は抗がん剤の投薬で、癌の進行がすすまず逆に検査をし癌細胞が縮小しているとの担当医の話を聞き、もしかしたらと本人も私たちも喜びました。
担当医の勧めや家族の私たちも、癌に関する雑誌等を何冊も読んで、食事療法で多少なりとも癌の進行をなるべく抑えられたらと、りんごと人参とレモンを絞ったジュースを毎日父に飲んでもらい、それ以外にも免疫力を上げる食材など、様々な形で試してみました。
ところが、余命3か月と宣告されてすでに半年以上も父は癌が進行していかなかったですが、だんだんと抗がん剤の影響からか、皮膚が少し黄ばみをおびさらに黒ずんできたのに気づきました。
そして、時々ひどく夜中に高熱が急に出たり、吐き気がしたりと救急で担当医のいる病院へ搬送されることが増えました。
ちょうど癌を宣告されて1年ほど経過し、少しずつ抗がん剤の投薬のみでは、本人が背中の辺り等がひどく痛みがあるとのことで、痛み止めの注射や点滴も通院時にうっていただくようになりました。
その痛みは今まで経験したことのない、体の奥からくる深くて鈍い痛みだと父は話しておりました。
抗がん剤の投薬で、皮膚の変色のみで、髪が抜けたりとかは全くなかったです。
痛み止めも、最初は緩いものでしたが、だんだん効力の強いものへとなっていきました。
その抗がん剤が効かなくなってからは、あまりの痛みで父は気を失ってしまうほで強烈な痛みだと話しておりました。
高熱で意識が飛んでしまうこともあり、私たちがお見舞いに病室に行っても、うわごとを言ってひどく大量の汗をかいて意識が中々戻らなくなることも増えました。
もう残りわずかだと本人が感じてからの生活ぶり
その1年ほど経過してから、本人も残りわずかだと自覚をしたらしく、定年退職したら母と一緒にいろんな所へ、観光旅行や食事に出かけるといっていたのに、それも限られた時間しか残されてないため、母に残りの人生を様々に後でやり残したことがないように楽しく過ごそうと、痛みに耐えながら笑顔で話しました。
それ以後、父は母を連れて日帰りのバスツアーに出かけて、様々な観光地を夫婦で訪れ、そして記念に沢山の写真を撮ったりして、だんだん歩くのも少し不自由になってきたのに、一緒に思い出を作っておりました。
また、私たち子供にも今後の仕事のことや、将来の生活のアドバイスもたくさんしてくれました。
普段できなかった、家の掃除や庭の手入れなど、様々に癌をわずらっているとは思えないほど元気に活発に行動しておりました。
そうやって、癌を患っているからと言って、悲観的に過ごすのではなく、残された私たちに今後の人生をしっかりと歩んでほしいという、メッセージだったと思います。
結局、父は余命3か月と宣告されてから、2年間も生きて私たちと一緒に過ごすことができました。
亡くなってから主治医の方からも、父は癌ということで残りの人生を悲観的にならず、精神的に前向きに行動したのも延命につながったのではと話しておりました。
古くから病は気からという言葉がありますが、その通りなのかもしれないと思いました。
あとは、食事療法も少しは良かったのではと主治医に褒めていただきました。
どんな大きな病気でも悲観的にならず、前向きに生きていくことが何より大切だと、父の死で感じました。