私が乳がんに気が付いたキッカケは・・・【体験ブログ】
私の母も祖母も乳がんになっていたので、いつか私も乳がんになるかもしれない。
と思っていました。
そのため会社の健康診断では自費でマンモグラフィーを受けていました。
健康診断を一通り受けて、問診も触診も終わり最後にマンモグラフィーでした。
痛みに耐えながらも終わってホッとしながら更衣室に戻るのに廊下を歩いていた時に、不意に胸が冷たく感じたのです・・・
検査着を見てみると左胸から黄色い汁が出て検査着を濡らしていました。
気になりましたがもう問診も終わってしまっているし、着替えて帰るだけだったのでそのまま帰りました。
何かあれば健康診断の結果で判るだろうと思ったのです。
1か月半程して検査結果が届きました。
結果は要観察で1年後に再度検査を受けて下さい。との記載でした。
なぜだか健康診断の時の出来事が忘れられず、検査結果に納得できませんでした。
思い起こせば仕事が忙しかったとはいえ半年で10キロほど体重が落ち、電車内で貧血で倒れるなど、他にも症状が出ていました。
どうしても病院に行かねばならない。という気持ちが収まらず、それから中規模の近所の病院に行ってみた所、すぐにエコー、細胞診となりました。
健康診断の時の黄色い汁は血液が混じった体液だったようです。
そしてマンモグラフィーは若いと乳腺が真っ白に映ってしまって人によってはあまり意味が無い事を初めて聞きました。
どこかで毎年自費を払ってまで受けているから大丈夫だろうという気持ちがありました。
知識が無い事は本当に怖い事だな。と思いました。
健康診断から3か月ほど経った頃には自分で触ってもガンが分かる程の大きさになっていました。
まだ31歳だった事もあり、大きい病院への転院を勧められ転院しました。
そこでも細胞診を再度受けて、やはりガンとの事でしたのですぐに手術をしました。
手術で胸を開けてみると他の乳腺も癌化していた為、左乳房の乳腺は全て取りました。
再建の為に乳頭を残したままにしました。
ステージゼロでしたので、抗がん剤も放射線もやりませんでした。
同じ病室の患者さんはお年寄りや中年の女性が多かったので、若い私はとても目立ちました。
若いのに可哀想。とか進行が早い。など無責任な言葉に傷つくことも多かったです。
同じ病室なので他の患者さんと看護師さんの会話が嫌でも聞こえてしまいます。
斜め前の患者さんが看護師さんに
「傷が思ったより小さくて胸の形も変わらなくて本当によかった。子供もいるし使う事もないんだけどね。」
と笑っているのが聞こえた時は涙が出ました。
私は子供も産んでいない。片方の胸は完全にぺっちゃんこになっている。
これから再発もするかもしれない。と不安だらけの私にとってツライ言葉でした。
またその時代は痛くても我慢する。痛み止めはそんなに飲まない。みたいな風潮だったのか、看護師さんに痛みを訴えても切っているんだから痛いのは当たり前です。
と言われ病院から早く自宅に帰りたかったです。
1年後にエキスパンダーを入れて再建しました。
今のようにガンの摘出手術と一緒にエキスパンダーを入れる方法があまり一般的ではなかったので、別の手術になってしまいました。
また豊胸手術と同じ扱いで健康保険適応外だったりお金も随分使いました。