藤村俊二さんの場合。胃癌を経験。【癌の芸能人・有名人】
藤村俊二さんは約30年ほど前、胃癌を経験しています。
藤村俊二さんは、1934年12月8日生まれで神奈川県鎌倉市出身の、日本の元俳優・声優・タレント・振付師です。
そんな藤村俊二さんは約30年ほど前、胃癌を経験しています。
藤村俊二さんの経歴・芸歴は?
藤村俊二さんの実父はスバル興業の社長であり、藤村俊二さんは小学校から高等学校まで暁星学園で過ごしました。
そして、演出家を志して早稲田大学第一文学部演劇学科に進学しますが、理論偏重の教育に飽き足らず中退してしまいます。その後、東宝芸能学校舞踊科を第1期生として卒業します。
藤村俊二さんは、日劇ダンシングチーム12期生として、1960年に渡欧し、イギリスやフランスを巡りますが、このとき本場の芸の水準に驚いて舞踊家の道を断念します。
帰国後、振付師に転向し、ザ・ドリフターズのTBS系列の大人気テレビ番組「8時だョ! 全員集合」やレナウン「イエイエ」のCFの振り付けも担当しました。
藤村俊二さん本人の話によると、もともと振り付け志望であったが、番組中にエキストラ出演を頼まれることも多かったそうです。
「ヒゲダンス」の振り付けを担当したとされています。
その時、画面に映るのが嫌でその場から「ひょい」と逃げていたところ、「おヒョイ」のあだ名がついたということで、後輩からは主に「おヒョイさん」と呼ばれています。
前述の「8時だョ! 全員集合」では、藤村俊二さんはギャグアドバイザーだった事もあり、「ヒゲダンス」の振り付けを担当したとされています。
しかし藤村俊二さん自身が、2008年4月18日放送のNHK-FM「邦楽ジョッキー」や「おしゃれカンケイ」でこれを否定しており、「8時だョ! 全員集合」で振り付けたのは民謡「北海盆唄」の替歌であるオープニングの「エンヤーコラヤ ドッコイジャンジャン コーラヤ」の部分だけであるそうです。
これは、「腕・肩を順番に触るだけの単純な動作だが、忙しく踊っているように見える振り付け」と藤村俊二さんは語っています。
また、藤村俊二さんは、愛川欽也さん、大橋巨泉さん、財津一郎さん、森山周一郎さんらと「昭和九年会」を結成していることでも知られています。
東京・南青山でバー「O’hyoi’s」(オヒョイズ)を経営
その他、藤村俊二さんは芸能界で活躍する一方、東京・南青山でバー「O’hyoi’s」(オヒョイズ)を経営しており、その店のロゴマークにはオーナーの藤村俊二さんのシルエットがあしらわれていました。
普通、芸能人が経営する飲食店は、いわゆる名義貸しオーナーの形が多いそうなのですが、藤村俊二さんは仕事の合間を縫って店に立つなど、実際に現場での経営を行っていたそうです。
また、この店では「お客様にサービスするのが当たり前だから」という理由でサービス料は設定していなかったそうなのですが、2010年12月に閉店してしまいました。
胃癌で胃を全摘出してからは毛染めをやめています。
藤村俊二さんのトレードマークは、長らく細身に黒髪のアフロヘアーでしたが、胃癌で胃を全摘出してからは毛染めをやめています。
バラエティー番組などでの藤村俊二さんは、とぼけたキャラクターと自虐とも取れるシュールな冗談で人気を集めました。
役者としては知的な老紳士的役も多くなっていますが、三谷幸喜さんの作品においてはボケキャラを演じることが多かったようです。
ただ、藤村俊二さん本人は「タレント」という肩書きが嫌いで「アクター(俳優)」を自認しているそうです。
その他、たびたび「執事役が似合う芸能人」として話題に挙がることが多くあり、その影響からか、「黒執事」に登場するキャラクター・タナカのモデルは藤村俊二さんだそうです。
かつて藤村俊二さんが代表を務めていた俳優事務所「オフィス・オヒョイ」には、自身のほか黒澤久雄さんや岡崎友紀さんらも所属していました。
しかし、2011年を以て同事務所は解散し、滝口順平さんの死去に伴い2011年から担当していた「ぶらり途中下車の旅」のナレーションも、2015年10月24日放送分からは太川陽介さんや林家たい平さん、石丸謙二郎さんらが代役として週替わりでナレーターを務めました。
藤村俊二さんが癌を発見したのは全くの偶然だったそうです。
友人の病院が分院を出すというので、お祝いの花がわりに、自身を差し出して人間ドックを受けた結果、「藤村さん、癌かもしれません」と初対面の先生に言われてしまったそうです。
特に自覚症状もなかったそうなのですが、「じゃあ、どうすればいい」と先生に聞いたら、「切れば、治ります」といわれたので、その通り手術を受けることにしたそうです。
ただ、藤村俊二さんは芸能界の仕事をしているので、予定は数カ月先まで入っていたため、いろいろ調整して、先生には半年ばかり待ってもらったそうです。
そして半年後、胃を3分の2ほど切除する手術を受けたそうです。
手術から退院までの1カ月あまり、「海外ロケに行ってくる」と言って、入院していたそうです。
当時は、癌を告知するかどうかが話題になっていたころであったため、もし、外に知られていたら大変だったでしょうが、ばれなかったんだそうです。
「その後も仕事を続けられたのも、告知段階から、先生と何でも話せて、病院とも信頼関係ができていたからだと思います。
病気と闘ってくれるのは先生たちですから、甘えればいいんだと思います。」と、藤村俊二さんは語っています。
癌のような重大な病気の治療では、担当の医師との信頼関係が何より重要なのだという事を改めて感じました。