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小西博之さんの場合。腎臓癌を発症。【癌の芸能人・有名人】
2004年の年末に全身に転移する可能性のある、腎臓癌が発見されました。
小西博之さんは、1959年9月28日生まれでスタークコーポレーション所属の、日本の俳優・タレントです。
小西博之さんは、大学時代から演劇を始めており、その後、「欽ちゃんファミリー」の一員として世間に広く知られるようになりました。
しかし、2004年の年末に全身に転移する可能性のある、腎臓癌が発見されました。
小西博之さんの経歴、芸歴
小西博之さんは、和歌山県田辺市上秋津出身で、現在の和歌山県立神島高等学校である和歌山県立田辺商業高等学校を経て、中京大学商学部を卒業しています。
中京大学では演劇部に所属しており、その演劇部在籍中には、ステージ付き大教室での稽古中にジャンプして着地した際に、ステージを踏み抜いてしまったという逸話が残っているそうです。
小西博之さんは、中京大学在学中に出演した、中京テレビのローカルバラエティ番組「ジョークドキュメントBBS放送局」での、理科教育番組のパロディコーナーの先生役でデビューを果たします。
その当時の人気ぶりは、当地で放送された、紳士服販売「名紳」のCMでそのまたパロディが作られるほどだったそうです。
この活躍により、その後、TBS系列で放送されたバラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」のレギュラーとして小西博之さんは抜擢されました。
そして、「欽ちゃんファミリー」の一員として人気を博し、同番組内において、レギュラーの清水由貴子さんと「銀座の雨の物語」をデュエットし、これがヒットします。
2004年の夏ごろから血尿が出るようになったため、年末に精密検査を受診しました。
小西博之さんは、2004年の夏ごろから血尿が出るようになったため、年末に精密検査を受診しました。
すると、全身に転移する恐れのある腎臓癌が発見されたため、翌年の2月、リンパを切除するなどの大手術を行いました。
現在は仕事を行えるまで回復しており、東京サイクリング協会主催の「東京シティサイクリング」にも毎年ゲストとして参加しているほどです。
「ウルトラギャラクシー大怪獣バトル」では若くして亡くなった、友人の円谷浩さんに捧げる意味で、自分の役名を「日向浩」に変更してもらったそうです。
また、8歳のころ「ウルトラマン」を視聴していた小西博之さんは、「僕も地球防衛組織の隊員になりたい」とずっと思っていたため、隊員の役柄を演じる事ができたのは嬉しいものであったということです。
小西博之さんは、以前「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」のナグモ役で「ウルトラシリーズ」に出演経験があります。
そして、そのナグモも地球防衛組織の隊員の役柄でした。また、「烈車戦隊トッキュウジャー」においては、刑事役でゲスト出演した際にボス(日向浩)のパロディが行われています。
小西博之さんは、1988年に結婚します。
そして、2人の男児をもうけるも1998年に別居し、2002年ごろから養育費及び慰謝料の支払いを条件として夫人側が離婚調停を申し立てました。
前述のリンパ切除の手術などの関係もあり手続きが滞ったが、2006年年明けには離婚が成立しました。
慰謝料の支払いはなかったそうですが、養育費は継続して支払われているということです。
2009年4月には、小西博之さんと同じ「欽ちゃんファミリー」の一員だった清水由貴子さんが49歳で自殺してしまいます。
清水由貴子さんの突然の訃報に、小西博之さんは当初、「自殺で死ぬなんて、僕は一生ユッコ(由貴子)を許さない。
天国なんかに絶対に行かせない。
冥福も祈らない。
僕が引き戻してやるから」と涙に暮れつつ、激しい口調で責めたそうです。
それから6年経った2015年、彼女の墓を初めて訪れた小西博之さんは、それまで清水由貴子さんに言えなかった想いを懺悔しつつ「僕はユッコちゃんに助けられたけど、僕はユッコちゃんを助けられなかった。それが悔しくて…」「話聞いてあげればよかった。ごめんな」と、改めて墓前で清水由貴子さんに対し、泣き崩れながら謝罪したそうです。
現在、小西博之さんは前述の腎臓癌との闘病経験を語る講演活動を行っているそうです。
そして、その講演の際に小西博之さんは、「僕はコレを「勝利のV」と呼んでるんです!」と言って、シャツをまくし上げて左脇腹を見せ、肋骨から背中にかけて残ったきれいなV字の手術痕を見せることもあるそうです。
小西博之さんの場合、癌の大きさが13センチもあったので、その腎臓癌の大きさは「日本で5本の指に入る大きさ」だと言われてしまうほどだったそうです。
そのため、手術痕も大きなものとなってしまいました。
腎臓という臓器は左右に1個ずつある12センチほどの大きさの臓器であるため、そこに13センチの癌とは、主治医の頴川医師もめったにないと驚くものだったそうです。
これだけ大きいと膵臓、肺など周辺臓器や、リンパ節、脂肪組織、骨などに転移しているケースが多くなるようです。
そのため、末期の癌であるとして、余命は3ヶ月と言われてしまったそうです。
このような困難な癌を乗り越えた小西博之さんを支えたものは、学生時代に野球部で培われた「精神」だったようです。
「高校の時、野球部の監督に言われたんですよ。「勝ちたいと思うな」と。「試合に勝つ」が目標じゃなく、勝った後、学校に戻ってみんなで大喜びしている姿を想像しろ、と。
だから病気に勝つ、癌と闘う、なんて思っちゃダメ。
夢の設定を楽しくないことに置いちゃいかんのです」と、小西博之さんは語っています。
「病は気から」とは、よく言いますが、癌治療に必要なものは強い意志だとも言われていますし、実際に癌から復帰している小西博之さんが言うと、また説得力があると思います。
最近はテレビ等で見かけることは、なかなかありませんが、前述の講演活動等で、同じような病気の人の励みになるような活動を続けていってほしいなと思います。