胸骨に転移がみられていた乳がんのステージ4発覚した母【体験ブログ】

私の母は、乳癌という診断を受け、現在も治療中です。
自分の身近な家族が癌になった経験をお持ちの方なら、どうしたらよいのかわからなくて不安になったり、悩んだりするこがあるかと思います。
もちろん癌患者である本人も「死」という危険性が伴う病気なのですから、当然不安になります。
私の母が乳癌と診断され、その内容を聞かされたときは正直、この人は死んでしまうかもしれないと思いました。
ですが、患者本にの納得のいく形で根気よく治療を続けることで、今現在も目標を持ちながら生きることができています。
初めに母が乳癌との診断を受ける前、本人曰く、なんとなく胸が痛んだり違和感があったようですが、最終的に皮膚に赤い発心と出血がでてきたので、病院を受診しに行ったとのことでした。
そのとき、すぐに組織検査が行われ、乳癌だとわかったのです。
母の場合はPET検査や血液検査などを経て、胸骨に転移がみられていたので、ステージ4でした。
癌になった方なら、癌の進行度合いを表す「ステージ」がいくつかを聞かされると思います。
ステージは0~Ⅳまであり、乳癌の場合、しこりの大きさやリンパ節への転移、乳房以外の臓器への転移を診て決められますが、母の場合はPET検査や血液検査などを経て、胸骨に転移がみられていたので、ステージⅣでした。
この結果は、本人と家族を呆然とさせ、どうしたらよいのかわからず、とても前向きに治療という風には考えられませんでした。
そもそも、ステージⅣは基本的には手術をしないという医師の判断があったので、母はこのまま癌と共に生き、抗癌剤以外の薬に頼って残りの人生を過ごすことを考えていました。
しかし、最初に受診した病院からは、セカンドオピニオンに行ってもいいですよと言われていたので、いくつかの病院の候補をあげて、治療法が他にもあるのか相談しに行くことにしたのです。
もう自分は治らないからと、セカンドオピニオンには積極的ではなかった母ですが、セカンドオピニオンのおかげで、治す方向で治療方針を考えてくださった医師との出会いがあり、前向きに治療にあたることを決心することができました。
実際、詳しい検査でわかった母の状態は、胸骨への転移以外にも両脇のリンパ、さらに肺に少し影があった最悪の状態でした。
ですが、肺の影は抗癌剤の投与によって、幸いなことになくなりました。
最初に投与された抗癌剤は、パクリタキセルで、週1回の投与を3回続けて1回休み、また週1回投与を3回といった具合に投与していきます。
本人を見ている限り、徐々に副作用が顕著になり、髪が抜け、味覚がおかしくなって、足がむくんだり痺れたりと辛そうなときが多々ありました。
味覚がおかしくなってきてからは、個人差もあるようですが、母の場合は醤油味が苦く感じるようで、トマト味など酸味のあるものを好んで食べていました。
パクリタキセルは、かなり強い抗癌剤になるのですが、その辛い副作用に母は2年半たえました。
途中、血管からの抗癌剤投与のために両腕の血管がボロボロになり、投与を続けるために皮下にポートと呼ばれる機器を埋め込む手術もしました。
そして、ついに癌だとわかった最初の頃は諦めていた手術の話が医師から告げられ、抗癌剤の種類が変わりました。
最初はできないと諦めかけていた手術の話がでたのです。
これは、本人はもちろん家族もびっくりし、とてもうれしかったのを覚えています。
それからは、フェックという薬に変わり、投与は3週に1度を5回繰り返し、フェックの投与が終わってから1か月と間を空けて手術になりました。
無事に手術は成功し、切除範囲は右乳房と右リンパと広範囲だったのですが、術後も痛み止めを使う必要もほとんどなく、経過は順調でした。
転移患者であるため、残念ながら手術が成功してもまだ癌細胞は残っています。
残りの癌は、放射線治療を週5回行うことで治療します。
1回の治療はたったの2分ですが、ほぼ毎日病院通いなので大変です。
現在、母はこの治療の最中ですが、30回行ったら終了なので比較的短期間の治療です。
そのあとは、定期的に診察を受けながら治療方針は主治医の判断で決定することになっています。
癌が体に残っている限り、基本的には薬に頼った生活をこの先もしなければなりませんが、治すという意志の強い医師に出会えたことで、母は人生を前向きに生きることでできています。
手術ができたことは、完治という可能性も数パーセントと、確率が低いながらゼロではなくなったのです。
母は現在も治療しながら、人生を前向きに生きています。