30歳で若年性乳癌になって。治療とその後。【体験ブログ】
「検査の結果ですが残念ながら良くない物が見つかって」
私の場合は手術で生検をした結果が出たと手術をした病院から連絡を貰った時に、
「早い日にちで家族の方と一緒に来てください」
と電話で看護婦さんに言われたので、もしかしたら悪性と言われるのかな、と心の準備はして家族と行き外来の朝一の時間に行き診察始まる前に先生に呼ばれお話を聞きました。
私の時は先生からはっきりと病名を言われたわけではなく、「検査の結果ですが残念ながら良くない物が見つかって」からお話されどうゆう病状で治療が必要になるという説明を受けた後、その日の午後自分の主治医の先生の乳腺クリニックに行き主治医から再度説明と治療方針についてお話がありました。
まさかテレビやニュースで聞いた事はあり知ってはいた癌という大きい病気になっている自覚もほぼなく正直驚きました。
少しの痛みや分泌物もありましたがどこか病気かもしれないけれど、まさか癌だったとはと信じられない気持ちが大きかったです。
私が一番最初に主治医の先生に聞いた言葉は「命にすぐかっかわる状態ですか」です。
30才という年齢で若年性乳癌ですし、金銭面でも不安が大きかったです。
私の病理検査の結果からリンパ節転移はしていないし手術と放射線と薬物治療で5年生存率は90%以上だと説明を受けました。
確率では生存率は高いものでしたが、結婚して半年後にわかった乳癌だったのでもしかしたらこのまま治療をして子どもを授かる事は難しいかもしれないと半分諦めた状態でした。
結婚当初数年は子どもの事はゆっくりで考えたいという気持ちが病気で難しいとなるとなぜか悲しくなりました。
病気に対する不安と夫に子どもを私のせいで望めないかもしれないという辛い気持ちとおっぱいがなくなってしまうのが悲しい気持ちと様々な感情が沸き上がり毎晩毎晩布団の中で泣いていました。
告知の内容は両親に伝えるのが辛かったです。
乳癌になったのは私で良かったなと素直に思いましたし、私でなくもし母が乳癌になる方が辛いなという思いでした。
その時母が「変わってあげれなくてごめんね」と言ってくれたのですが当時の私はそうゆう言葉を望んではいなかったですし、この言葉に対して素直にありがたい気持ちで聞けずにいました。
乳癌だとわかってしばらく毎晩泣いた日が続きましたが10日後には手術も決まったので段々悲しい不安な気持ちから手術頑張って治療するぞと前向きな気持ちに切り替わって行きました。
入院先の病室では大部屋だったので同じ乳癌の患者さん同士で色々情報交換をしたりお互い励まし合ったり同じ病気で戦う人がいるんだなと感じました。
私はもともと頑固な部分があり気持ちを曲げれずな人でしたが乳癌になってからは自分が辛い時に助けてくれたり力になってくれた周りの人たち、家族や友達、環境に「ありがとう」の気持ちを沢山感じた事に驚きました。
きっと日々の感謝が足りなかったのだなと反省をしました。
病気になって過去は変えれないし、未来はわからないけど今、ここにある現在を大切に過ごしていきたいという考え方に変わりました。
乳癌になった事は正直なところショックで悲しかったですが今は乳癌という病気になったからこそ気づけた事が沢山あるので病気になった事に感謝が出来るように少しずつ変わりました。”