小堺一機さんの場合。首の腫瘤の摘出手術。【癌の芸能人・有名人】
2004年7月に、首の腫瘤の摘出手術を受けた小堺一機さん
小堺一機さんは、1956年1月3日生まれで千葉県市川市出身、浅井企画所属の日本のお笑いタレント・コメディアン・俳優です。
小堺一機さんは、お昼の超ご長寿番組であった「ごきげんよう」の司会でお馴染みですが、2004年に首の腫瘤を切除する手術を受けています。
小堺一機さんの芸歴、経歴
小堺一機さんは、千葉県市川市真間で幼少時代を過ごし、その後、寿司職人であった父親の職場移動に伴って、東京・浅草で少年時代を過ごします。
この東京・浅草において、映画への興味を深め、ストリップ劇場等の大人の世界にも触れていき、また、児童合唱団に所属する等して、華やかな世界への興味も抱くようになりました。
小堺一機さんは、幼少時代にはデザイナーになることに憧れていたそうですが、小学校で行われた健康診断において、色弱と診断されたためにその夢を断念したそうです。
また、小堺一機さんは、文京区立関口台町小学校に通っていましたが、その同級生の1人には土方隆行さんがいます。
その後、小堺一機さんは、新宿区立牛込第二中学校、東京都立市ヶ谷商業高等学校、研数学館の各学校を経て、専修大学に合格しました。
「素人コメディアン道場」で第17代チャンピオンとなり、芸能界入り
小堺一機さんは、その専修大学在学中であった1977年、TBSテレビ系列のテレビ番組「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」で第17代チャンピオンとなり、芸能界入りを果たしました。
専修大学卒業後は、勝新太郎さんが主宰する「勝アカデミー」に第1期生として入校します。
その翌年に同校を卒業しますが、「勝アカデミー」では岸田森さんらに師事しており、当時の同期生ではルー大柴さんがいたそうです。
小堺一機さんは、「勝アカデミー」卒業後、浅井企画と契約し、本格的な芸能活動をスタートさせます。
前述の「ぎんざNOW!」の初代チャンピオンで、浅井企画の先輩であり、長年の親友でもある関根勤さん(旧:ラビット関根さん)とコンビ「コサキン」(結成当初は「コサラビ」と呼ばれていた)を組んで、ライブハウスの舞台に立ち、修行を積んでいました。
その一方、日本テレビ系列のテレビ番組「ザ・トップテン」の中継リポーターとして出演し、さらに、萩本欽一さんの看板番組であるテレビ朝日系列のテレビ番組「欽ちゃんのどこまでやるの⁉」において、関根勤さんと共に「クロ子とグレ子」という役で出演し、人気を獲得していきます。
「ライオンのごきげんよう」の司会に抜擢されます。
そのような活躍が認められ、小堺一機さんは、1984年10月にフジテレビ系列のテレビ番組「ライオンのいただきます」(1989年10月より「ライオンのいただきますⅡ」に改題された。)の司会に抜擢されます。
その後、その後継番組として1991年1月から始まった「ライオンのごきげんよう」(2016年3月に放送終了)においても司会を務め、お昼の顔として定着していきました。
また、TBSラジオのラジオ番組である「コサキン」シリーズは、関根勤さんと共にパーソナリティを務めており、ラジオの深夜番組としては驚異的といえる27年半も続いた長寿番組となりました(2009年3月に放送終了)。
小堺一機さんは、1980~90年代にかけては俳優としてもテレビドラマ出演を多くこなし、前述のテレビ番組「いただきます」、「ごきげんよう」で司会者のイメージが確立されていますが、原点となるものまね芸も続けています。
ラジオ番組「コサキン」シリーズにおいては新ネタを卸し続け、2010年代以降においても、フジテレビ系列のテレビ番組「とんねるずのみなさんのおかげでした」で若手芸人に混じってものまねを披露しています。
2004年7月に、首の腫瘤の摘出手術を受けたため、レギュラー番組を一時降板。
小堺一機さんは、前述の通り、2004年7月に、首の腫瘤の摘出手術を受けたため、レギュラー番組を一時降板。
この摘出手術の結果、その一部に癌化した細胞が検出されたことから、この後に自身が癌に罹患していることを公表しました。
テレビ番組への復帰は、同年8月30日の「ごきげんよう」の生放送でしたが、その際に髪を白く染めるという意表をついた登場で注目を集めています。
それ以後は金色の頭髪が小堺一機さんのトレードマークとなっていきますが、現在は白髪であると本人が語っており、また、「髪の毛の後退」は以前から小堺一機さん自身のネタでもありました。
さらに、小堺一機さんは、癌になったことをきっかけに禁煙しており、現在は非喫煙者となっています。
小堺一機さん自身が首の腫瘤に気づいたきっかけは、ひげを剃っている時に発見したしこりであったそうで、発見した時はすぐにかかりつけ医に相談したそうです。
この際に診断された病名は、原発不明頚部リンパ節転移で、原因となるがんが見つからないまま首に転移したものだったということでした。
この時、首の右側に直径2~3センチの腫瘤、左側にも小さな腫瘤が見つかりました。
その後の生検では、癌細胞との診断が下されます。小堺一機さんは、癌という病名を聞くと「やっぱり、死ぬんだ」と最初は思われ、かなり落ち込んだそうですが、入院・治療をしていくに当たっては、とても落ち着いた気持ちで治療に望めたと語っています。
そして、摘出手術は無事成功し、担当医からは「すべて摘出したので、転移の心配はない」とのことであり、その担当医の言う通り、手術後の経過は順調で、約1か月の自宅療養期間を経て、無事に仕事に復帰されています。
小堺一機さんは、癌になったからといって特別なことは何もしていなく、食べたいものを食べ、お酒も飲むという生活を送っているそうです。
そういったストレスのない生活が、癌治療後の予後を良くしているかもしれません。健康に気を付けて、これからも活躍していってほしいなと思います。