麻木久仁子さんの場合。脳梗塞と乳癌発症。【癌の芸能人・有名人】
麻木久仁子さんは、2010年、彼女が48歳の時に脳梗塞と乳癌という大きな病気を2つも患っています。
麻木久仁子さんは、1962年11月12日生まれで、日本のタレント・司会者・女優であり、エッセイストであり、コメンテーターでもあります。
そんな麻木久仁子さんは、2010年、彼女が48歳の時に脳梗塞と乳癌という大きな病気を2つも患っています。
麻木久仁子さんは、東京都大田区生まれで、東京都立国分寺高等学校へ進学し、その後、学習院大学法学部に入学。
他にも入学試験で合格した明治大学と比較し、「オシャレで合コンの時にも受けそうだと思ったから」という理由で学習院大学を選んだそうです。
ただ、麻木久仁子さんは同大学を中退してしまいます。
これは、両親の離婚などにより奨学金を受け大学に通っていたが、アルバイトに追われ、進級に必要な語学の単位が不足し3年生に進級できなかったことから、奨学金を打ち切られたためというのが、その理由となります。
麻木久仁子さんは学習院大学を中退後、芸能活動を始めます。
その最初の仕事は、1983年に放映された「東京ディズニーランドの開園告知」のテレビCMでした。
また、当時、同じ事務所に所属していた小比類巻かほるさんと、この時期に親友になったそうです。
その後、モデルとしてサントリーのテレビCMに出演し、1986年には、NHK「シャツの店」で女優としてもデビューを果たします。
麻木久仁子さんは、最初は本名で活動していたのですが、本名が地味なイメージだということと、本名の画数が不幸せや早死にの大凶の運勢だったということで改名に至り、1987年頃に「麻木久仁子」と改名しました。
この名前には、「名前に木の字が3つも入っているので木が生い茂るように仕事などが沢山入るように」という意味も込められているそうです。そして、その後に出演したTBS系列の旅番組「いい旅・日本」が「一大転機になった」と麻木久仁子さんは後に話しています。
1988年には、オールナイトフジの司会に大抜擢されましたが、ずっと黙っていたり、「コマーシャルです」などのコメントを言い損ねたりするなどしてほとんど実力を発揮出来なかったので、1クールで降板となってしまい、麻木久仁子さん曰く「これで自信喪失した」と思っていたところ、その直後に中京テレビ「ヴィヴィアン」のレギュラー出演が決まりました。
1990年代からは「KOSE カウントダウン・ジャパン」、「TVおじゃマンボウ」などの司会として出演し、2005年6月からは「文藝春秋 Book倶楽部」において書評委員を務めています。
また、2006年1月22日号の「婦人公論」より、その中の「婦人公論井戸端会議」で司会を務めています。
作曲家の松本晃彦さんと結婚。
麻木久仁子さんは、1994年4月に幼馴染で、「踊る大捜査線」等の映画やドラマの音楽を手掛けた作曲家の松本晃彦さんと結婚。
同年11月25日に一女をもうけますが、2005年頃から離婚に向けての話し合いを行い、2006年3月31日に「ここ数年のすれ違いが原因」で離婚してしまいます。
その後、タレント大桃美代子さんの元夫でAPF通信社代表取締役の山路徹さんと再婚しますが、夫の山路徹さんが、麻木久仁子さんが離婚後も使用していた松本姓を名乗る形で別居のまま再婚し、2010年11月に離婚したことが同年12月24日の本人の声明文と12月26日の山路徹さんの記者会見で公表されました。
麻木久仁子さんは24日に報道各社にFAXで声明文を送付し「婚姻関係にあったとのことについては、事実であり否定するものではありません」としましたが、声明文でも山路徹さんの会見においても入籍した年月日は何故か明かされず、山路徹さんは後日、麻木久仁子さん側が公表すると述べるにとどめています。
その後、12月27日に麻木の代理人弘中惇一郎弁護士が結婚時期詳細について「説明を控える」と発表しており、山路徹さんとの結婚期間については未だに判明していません。
麻木久仁子さん本人は、前述の声明文を出す前の12月22日に代理人の弘中惇一郎弁護士を伴って会見しており、山路徹さんとの交際は山路徹さんと大桃美代子さんの離婚成立前に始まったことを明らかにしています。
しかし、「不倫には当たらない」との考えを表明しており、また、この会見中に、「事実婚ですか?」との報道陣の質問に「事実婚ってなんだろうと思う」と述べています。
さらに、この時点では正式な婚姻関係にあったことを明らかにしておらず、二人の関係を終始「おつきあい」と表現していました。そして、麻木久仁子さん、山路徹さん双方共家族にも、この婚姻関係を秘密にしていたそうです。
2012年、乳癌が発見され、麻木久仁子さんは左右両乳房の患部摘出手術を受けています。
また、この事実を公表した際、2010年暮れに軽い脳梗塞を発症していたことも告白しています。
麻木久仁子さんは、その脳梗塞のときの様子を「担当医からは脳梗塞患者としては年齢が若いと言われました。
私には脳梗塞の原因となりうる高血圧や高脂血症などの症状がなく、原因不明の病であることも視野に入れて、さまざまな検査を受けました。
ところが、どの検査を受けても脳梗塞以外に悪いものが見つからなかったんです。
それで原因の特定が難しかったのですが担当医からはストレスが原因である可能性もあるという説明を受けました」と語っています。
その後、痺れを抑える薬と倍アスピリンの経口投与治療を麻木久仁子さんは行い、その結果、痺れも治まって良好な健康状態に戻られたのだそうです。
しかし、その後、前述の通り、乳癌という恐ろしい病気に麻木久仁子さんは襲われます。
ただ、麻木久仁子さんのケースでは癌細胞が非常に取り出しやすかったため、乳房を失うことが多いとされている乳癌の手術において、乳房そのものを失うということは無かったとのことです。
このように、生命の危機にも直結する危険性がある2つの病気を経験した麻木久仁子さんは、「(脳梗塞の原因となる)ストレスはためないように気をつけたい」、「寿命が長い時代、50歳は身体をメンテナンスして頑張ろうって考える時期だと思う」というような事を語っています。
40代、50代は働き盛りの年代ではありますが、様々な病気を発症しやすい時期でもありますので、麻木久仁子さんの言うように、一度自身の身体の健康状態を見直して、メンテナンスをするのが大切な時期なのではないかと思います。