心臓病ではなく肺癌だった父。抗がん剤治療の結果・・・【体験ブログ】
私の父は81歳で肺ガンで他界しました。
つい最近の事のような気がしますが、父が他界して四年の月日が過ぎました。
父が肺ガンを発病した頃の私は両親の暮す実家から車で30分離れた隣町に住んでいました。
実家に帰るのは平均すると二週間に一度くらいでした。
父の体に異変があったのは肺ガンで亡くなる約一年前でした。
父の体に始めて異変が起こった時の話は母から聞きました。
父は実家の直ぐ近くの運動公園に毎朝散歩に行くのが日課でした。
それが、ある日、顔面蒼白で息苦しそうにして帰って来たと言うのです。
直ぐに掛かりつけの病院で、父は心臓の精密検査を受けました。
心臓の精密検査を受けたのは、元々、父は心臓が悪く動機・息切れが定期的に起こると言う持病を持っていたからです。
その為、父は心臓の病気だろうと言う先入観を持って精密検査を受けたのです。
結局、心臓の精密検査や検査の結果待ちながら様子を見ているうちに三カ月が経過したのです。
ところが、心臓の治療薬を飲んでも胸の息苦しさは改善しませんでした。
もしかしたら肺に異常があるかも知れないと言う事で、掛かりつけの先生の勧めで、別の総合病院で肺の精密検査を受けることになりました。
結果は、肺がんで『肺腺がん』という病名でした。
病気の程度はステージ4で、年齢的なこともあり手術はできないとの事でした。
父は「もし治療をしなければどれくらい生きるのか?」と主治医に尋ねたと言います。
すると主治医は治療をしなければ約9カ月ですと余命宣告をしたそうです。
長男である私には連絡もくれずにいきなり余命宣告する医師の態度には疑問を感じましたが、父は自分から医師に聞いた事もあって納得していました。
私は、最近は重大な病気の場合には、誤診の可能性を排除する為に別の医師の診断を受ける方法があると知っていました。
命に係わる事なので別の病院でもう一回精密検査を受けた方が良いと勧めました。
私の勧めに父は素直に従ってくれて、別の病院で検査を受けましたが病名もステージ4という進行状態も残念ながら同じ結果でした。
その結果、父が抗がん剤による治療に同意して抗がん剤治療が始まりました。
私は、その時、市民バスの運転手をしていましたが抗がん剤治療が始まってからは、週に二回実家に帰り母と病院に通う日々が始まりました。
抗がん剤治療が始まった頃の父は顔色も良く健康そうに見えました。
病院に行ったらいつも父に言いました。
「病気とは思えないくらい顔色が良い」と言うと父はいつも「いや間違いなく病気だ」と言って笑っていました。
実際、顔の色つやは良く、父は肺ガンの病棟の誰よりも元気そうに見えました。
ところが、抗がん剤治療が始まってからの父の消耗は私の想像よりずっと早く父の病状は目に見えて悪化して行きました。
抗がん剤治療が始まって自宅療養と検査入院、抗がん剤投与の繰り返す内に7か月が過ぎました。父は、家にいる時には、時々、胸を押さえて苦しそうにするようになりました。
12月の始め、釣りの好きな父と魚釣りに出かけました。
その時の釣りは大漁でした。
父と二人でサバをバケツ二杯ほど釣りましたが途中で父が「しんどいから帰ろう」と言いだしたのです。
それでも負けず嫌いの父は「痛い」とは言いません。
そして、12月31日の大みそかの夜、父は胸を押さえてかなり苦しそうにしました。
私が「病院に行こう」と言うと大みそかだから年が明けてからでいいと言いました。
父がそういうので、私はその後、直ぐに床に就きました。
ところが、病院に行くのは明日で良いと言って言った父がその言葉を言って10分も立たないうちに病院に連れて行ってくれと言いだしたのです。
父の容体が急変したのです。我慢強い父が我慢できないほどの痛み。
相当、痛むのだなと直感しました。
病院で直ぐレントゲンを撮り、母と一緒に父の肺のレントゲンの写真をみせて貰いました。
父の左側の肺の全体が真っ白になっていました。
そんな全面が白色になった肺の写真は、私も初めてみる映像でした。
母は驚いたようにため息のような声を出していました。
その数日後、脳に転移している事が解り、脳の放射線治療をすることになりました。
放射線治療が始まってからの父の容体は急速に悪化して行きました。
あれほどしっかりしていた父が、病室の前の廊下で二度転んだと聞かされました。
さらに、時々、物忘れのような症状も出始め抗がん剤治療が始まった頃の父とは別人のように衰弱していました。
抗がん剤の副作用の恐ろしさを父の容姿から実感しました。
そして、父が亡くなったのは2月7日でした。
丁度、実家に帰っていた日でした。
早朝の4時頃、病院からの電話があって母と二人で病院に急行しました。
20分ほど走って病院についた時、父はすでに息を引き取っていたのです。
肺ガンが発覚して約9カ月の闘病生活でした。
今にして思うと最初の精密検査で、心臓だと決めつけないで、肺の精密検査もやっておけば三カ月早く肺がん治療を受ける事が出来たのかも知れません。
せめてもの救いは長く闘病生活をしなかったことだと思います。
父の肺ガンがきっかけで、私は煙草を辞めました。
病の床で父は私に言いました。
「ばあちゃんは胃がん」「わしは肺ガン。お前も煙草を吸うやろ!気をつけとけよ」
その父の教えを守って一日、二箱も吸っていた煙草を止めました。
煙草を止めて4年になります。
父の肺ガンでガンの怖さを知ると同時に早期発見が何より大事だと痛感しました。
そして、あれほど胸を押さえて苦しそうにしていた父が一度も痛いと言わなかったのです。
若い頃はカッコいい父でした。そして負けず嫌いの父でした。
今は、ただ安らかに眠って欲しいです。