辛坊治郎さんの場合。十二指腸癌を発症。【癌の芸能人・有名人】
内視鏡による十二指腸腫瘍の摘出手術を行った辛坊治郎さん
辛坊治郎さんは、1965年4月11日生まれで、読売テレビ(YTV)アナウンサーから、理事・報道局解説委員長(局長待遇)などを経て、株式会社大阪綜合研究所代表を務めている、日本のニュースキャスター・シンクタンク経営者です。
そんな辛坊治郎さんは、2012年に十二指腸癌を患っています。
辛坊治郎さんの経歴、芸歴
辛坊治郎さんは、鳥取県米子市において、男2人兄弟の二男として生まれ、7歳上の兄がいますが、この鳥取での生活はわずか2ヶ月であったため、本人は全く記憶がないそうです。
自衛隊員だった父親の転勤に伴って全国を転々とした生活を小学校入学前まで続け、物心がついたころから大学時代までは埼玉県入間市で過ごしています。
辛坊治郎さんは、入間市立豊岡中学校時代にテレビでメキシコ映画「ぼくの心はバイオリン」を見ていた時、停電になったためラスト15分が見えなくなったそうです。
そこで、放送していたTBSに結果を電話で聞いたところ、親切に教えてもらったので、そのことに感激し、将来は放送局で働こうとその時に決めたそうです。
YTVにアナウンサーとして入社し、「ズームイン!!朝!」の大阪キャスターに。
大学4年時の就職活動で埼玉県庁の上級職試験に合格し、住友商事の内定も受けていましたが、ある日、大学の就職部の掲示板でフジテレビのリポーター・司会者(アナウンサー)募集のチラシを見て、受けるだけで1000円もらえたことから受けたところ、受験者1300人の中から7次試験の最終面接3名まで残りました。
結局フジテレビは落ちましたが、12月に大阪の読売テレビから誘われて入社試験を受けて合格。
大学卒業後の1980年、YTVにアナウンサーとして入社し、「ズームイン!!朝!」の大阪キャスターを8年間担当します。
このスポーツコーナーにおいて、阪神タイガースの不振を森たけしさんと共にボヤいた「難儀やなぁ」は、1987年の新語・流行語大賞流行語部門の銀賞を受賞しています。
1990年4月より夕方のローカルニュース「ニューススクランブル」のキャスターとして活躍します。
その一方で、1991年1月から1992年3月まで「ウェークアップ!」の司会を務め、その後1993年に退社した羽川英樹さんに代わり、新たなYTVの看板男性アナウンサーとなりました。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災関連のニュースも担当し、当時、YTVは2日間(48時間)にわたって震災の報道特番を行っていましたが、辛坊治郎さんは、その48時間にわたってYTVのスタジオでキャスターを務めました。
辛坊治郎さんは、1997年からは報道局解説委員となります。
同年1997年7月から1998年7月までの1年間は、ペース大学研究員としてニューヨークに駐在。アメリカのメディア事情を研究し、帰国後は報道部チーフプロデューサーへ就任します。
同職と並行する形で辛坊治郎さんは、「報道特捜プロジェクト」のキャスターや、関西ローカルの「元気モンTV」「あさイチ!」ではコメンテーターなどを担当し、「元気モンTV」や「あさイチ!」ではチーフプロデューサーを兼任しながら出演していました。
その中で、中元綾子アナ(当時)をメインキャスターに据えたことや、辛坊治郎さん自身の「日本一よく分かるニュース解説」のコーナーが人気となり、同時間帯視聴率トップの番組にする等の実績をあげました。
そして、2000年には報道局情報番組部長に就任。前述のメディア事情をまとめた初の著書である「TVメディアの興亡」を刊行します。
2001年10月、辛坊治郎さんは東京での単身赴任生活を、日本テレビ「ズームイン!!SUPER」開始に伴い、新聞ニュース解説(兼サブ司会)に起用されたことから始めます。
2005年4月から同局の報道番組である「ウェークアップ!」の後番組の「ウェークアップ!ぷらす」の司会を桂文珍さんに代わって担当します。また、その間、芦屋大学客員教授を2004年より務めています。
辛坊治郎さんは、2010年8月、翌月末をもってYTVを退職。
10月よりシンクタンクの研究員になる旨が報道され、辛坊治郎さん自身がキャスターを務める「朝生ワイド す・またん!」にて記事を取り上げ本人からも公表しました。
退職日は2010年9月30日であり、退職後は自身が設立したシンクタンクである大阪綜合研究所へ移籍しましたが、退職後も番組出演は続けています。
辛坊治郎さんは、ヨットでの太平洋横断を企画。
2013年6月、全盲のヨットマンだった岩本光弘をサポートする形で福島県いわき市の小名浜港をスタートし、同年の8月にアメリカ合衆国のカリフォルニア州サンディエゴでゴールをする予定でしたが、6月21日にクジラと思われる生物と衝突して、ヨットが浸水し、同日7時45分に118番通報することとなります。
その後10時間近く救難艇で漂流したのち、同日18時14分に海上自衛隊のUS-2(救難飛行艇)に救助されました。
そんな中、初期の腫瘍が発見されました
辛坊治郎さんは、この太平洋横断へのチャレンジ企画のために急遽行われた検査において、胃癌検診に3千円プラスすると内視鏡が受けられるということで受けた検査で、初期の腫瘍が発見されました。
ただ、この腫瘍が良性か悪性かは手術後の病理検査を経ないとわからないとのことでした。
そして、同年の12月19日に内視鏡による十二指腸腫瘍の摘出手術を行い、手術で切除した腫瘍は1.5センチであり、その病理検査の結果は悪性腫瘍(癌)でした。
さらに摘出手術から約3ヶ月後の2013年3月には肺に影が見つかり、転移の可能性がある事を告白。
ただ、4月半ばに再度CTスキャンを取り直した結果、癌の転移は見られなかったため、小型ヨットでの太平洋横断挑戦の夢に向かえるようになりました。
今回の太平洋横断挑戦の夢はかないませんでしたが、健康に気を付けて、またいつの日かチャレンジしてくれたらいいなと思います。