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向井亜紀さんの場合。S状結腸癌を告白。【癌の芸能人・有名人】
2013年の自身が48歳の時にS状結腸癌であることを告白しています。
向井亜紀さんは、1964年11月3日生まれで、現在のさいたま市西区プラザである埼玉県大宮市出身の、日本の女優・タレントです。
そして、夫は総合格闘家でプロレスラーでもある高田延彦さんで、事務所は高田道場に夫婦で所属しています。
そんな向井亜紀さんは、2013年の自身が48歳の時にS状結腸癌であることを告白しています。
向井亜紀さんの芸歴、経歴は?
向井亜紀さんは、小学1年生時に蕨市立北小学校、小学2年生時に大宮市立馬宮東小学校、小学3~6年生時に大宮市立栄小学校に在学しています。
向井亜紀さんの父親は医師、母親は高校の化学教師で、実家は耳鼻科医院であるその影響から、幼い頃から理系を志望しており、将来は中学校の理科教師を目指していたそうです。
その後、大宮市立馬宮中学校を経て、高校は埼玉県立浦和第一女子高等学校普通科に進学し、新体操部に所属していました。
さらに、現在は学部再編により理学部物質生物科学科生物系となった日本女子大学家政学部家政理学2部生物系に進学し、芸能界入りしたことにより学業との両立が困難となったことから、2年次在学中に中退しました。
そして向井亜紀さんは、文化放送「ミスDJリクエストパレード」でデビューを果たし、アイドルとしてグラビア・写真集、トレンディードラマなどにも出演するようになりました。
1985年には、フジテレビ系列のテレビ番組「TVプレイバック」のレギュラー回答者として出演。
そして1994年に、プロレスラーの高田延彦さんと結婚し、夫婦共に無類の酒好きで有名となっています。
向井亜紀さんは、2000年9月、妊娠判明と同時に子宮頸癌が発見
妊娠5ヶ月である妊娠16週の時に妊娠継続をあきらめ、同年11月21日広汎子宮全摘出手術を受けています。
そして同年12月19日に、病状報告会見を行いました。
2002年8月には、「(夫である)高田の優秀な遺伝子を残したい」との理由で代理出産依頼のためアメリカ合衆国・ネバダ州へ渡り、この8月、同年12月と2度、体外受精による胚を代理母サンドラの子宮に移植し着床を試みています。
しかし、失敗してしまったため、自身の著書では、ネバダ州の担当医師から提供卵を用いることを打診された経緯を説明しています。
翌年2003年には、新薬による成果で「奇跡的に」卵子が3つ採卵できたため、夫・高田延彦さんの精子と体外受精を行い、胚を代理母シンディの胎内に移植しました。
すると、2つの胚が着床に至ったため、同年11月、代理母シンディの帝王切開出産により、向井亜紀さんは双子の男児を得ることとなります。
2004年1月15日、都内ホテルにて代理出産による双子誕生の報告会見を夫妻揃って行い、双子の実名もその場で発表しました。
また、子供たちの戸籍に関しての質問に対して、向井亜紀さんは「アメリカ人であろうが、日本人であろうが、実の親子であろうが、養子であろうが、自分たちが親子であればそれでいい。
紙の上のことは後付けでいい。本当の家族であることに変わりない」と宣言しました。
父親である高田延彦さんも「(法改正に)頑張ろうという気持ちはない。
今あることが僕たちの家族のスタイル」と答えています。
そして、その7日後の1月22日に、夫妻揃って東京都品川区役所に双子の出生届を提出しました。
しかし、この出生届は出産していない向井亜紀さんを「母親」とする「実子」とするものであったため、分娩者を母親とする日本の戸籍法の解釈から区役所側は法務省に判断を仰ぐとしてこの日は書類を受理せず、「預かり」の形となり、同年6月に、双子の出生届は不受理となりました。
向井・高田夫妻は出生届不受理決定を不服とし、東京家裁へ処分取り消しを申し立てましたが、翌年2005年11月、東京家裁は申し立てを却下しました。
それを受け、向井亜紀さん側は東京高裁に即時抗告しました。
品川区役所に出生届受理命令の判断を下します。
2006年9月29日、東京高等裁判所(東京高裁)は「子供の福祉の観点」「米国の確定裁判を承認すべき」との理由により、品川区役所に出生届受理命令の判断を下します。
同年10月6日、法務省は、上記東京高裁の判断について「議論を深める必要がある問題だ」として最高裁判所の判断が必要と不服申し立てをするよう品川区役所に指示し、同月10日、品川区役所によって、高等裁判所の判例において判例違反及び法令解釈上、非常に重要な問題が含まれている場合に抗告の許可を求めて行われる、許可抗告が申し立てられました。
これにより、代理出産により生まれた双子の出生届受理に関する結論は最高裁へ持ち込まれました。
2007年3月23日、最高裁は、「立法による速やかな対応が強く望まれる」としながらも、東京都品川区の出生届の受理を命じた東京高裁決定を破棄し、受理は認められないとする決定をしたため、向井夫妻側の敗訴が確定しました。
その後、向井亜紀さんは2013年、前述の通り、S状結腸癌であることを告白。
この発表時に、向井亜紀さんの所属事務所はS状結腸癌であると診断された同年6月に、癌の進行状況はステージ2で、幸いにも初期段階だったと発表しています。
そして、毎年受けている定期検査で偶然に見つかったS状結腸癌の摘出を行うための手術を、向井亜紀さんは同年8月に受けて無事成功されています。
向井亜紀さんはS状結腸癌という重大な病気にも関わらず、極秘のうちに手術が行われました。
これは、前述の双子の息子さんが10歳という多感な年ごろを迎えていたため、その息子たちへの配慮だったということだそうです。
現在の向井亜紀さんは癌を克服し、すっかり元気になられて通常の生活を送りながら、芸能活動にも復帰されています。今後のさらなる活躍を期待したいなと思います。