手術 忌野清志郎 ガン 喉頭癌

年間もの間、喉頭癌と闘った忌野清志郎さん

忌野清志郎さんは、1951年4月2日生まれでRCサクセションを筆頭に、忌野清志郎 & 2・3’S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを率いた日本のロックミュージシャンです。

そんな忌野清志郎さんは、3年間もの間、病と闘いましたが、喉頭癌のため死去しました。

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忌野清志郎さんの経歴、芸歴は?

忌野清志郎さんは、東京都中野区生まれで、国分寺市育ちであり、みふじ幼稚園を経て国分寺市立第二小学校に通っていました。

忌野清志郎さんの母親の最初の夫は結婚して間もなく戦死しており、また、母親は忌野清志郎さんが3才の時に33才で亡くなっっていることから、その後、忌野清志郎さんは伯母夫婦に養子として引き取られています。

忌野清志郎さんは、国分寺市立第三中学校時代にエレキブームに刺激を受けたことにより、ベンチャーズなどのカバーバンド「No Name」を結成し、音楽活動を始めます。

また、1966年初頭には、フォークブームに刺激を受け、同級生でバンド仲間だった後の林小和生さんである小林和生さん、後の破廉ケンチさんである桶田賢一さんと共に「The Clover」を結成するが、東京都立日野高等学校進学に伴って、その安岳活動は停滞してしまいます。

高校時代、忌野清志郎さんはサイケデリック・ミュージックの流れでビートルズやザ・バンドを聞き込んでいました。

しかし、ジョン・リー・フッカー好きの友人の影響で、ブルースに傾倒するようになります。
その後、バンドの解散/再編(The Clover→「The Remainders of The Clover」→「The Remainders of The Clover Succession」、1968年に「R.C.サクセション」に定着)を繰り返した後、1970年、フォークグループRCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」でデビューを果たします。

1972年、シングル「僕の好きな先生」がスマッシュヒットしました。
しかし、その後が続かず、また事務所関係のトラブルが発生したこともあり、長期にわたってバンド活動は低迷してしまいます。

メンバーの脱退・加入を繰り返しながら、精力的なライブ活動を展開

1976年、事務所を「ホリプロ」から「りぼん」に移籍し、スタジオミュージシャンを大々的に起用したアルバム「シングル・マン」を発表。これ以降、徐々にロックバンド化していき、1977年からはメンバーの脱退・加入を繰り返しながら、精力的なライブ活動を展開していきます。

1978年半ば頃から徐々にライブハウスでの人気が出始め、この時期からデヴィッド・ボウイ等のグラムロック一派やミック・ジャガーの影響でメイクを始めるようになります。
また、パンク・ファッションの影響でパンクヘアにカットしたことから、独特の奇抜な風貌になりました。

1979年には音楽ライターの吉見佑子さんが「シングル・マン」再発実行委員会を組織するなど、音楽的に評価する空気が高まっていきます。
1980年のシングル「雨あがりの夜空に」、「トランジスタ・ラジオ」、アルバム「RHAPSODY」のヒットにより、YMOの坂本龍一さんと並び、RCサクセションの忌野清志郎さんはメディアの寵児として取り上げられることになりました。

1984年、この時期の事務所の対応に不満を募らせ事務所「りぼん」から独立し、1985年、RCサクセションの事務所「うむ」を設立します。
しかし、このころからRCサクセション内でも各メンバーのソロ活動が活発化し、バンドの活動は停滞していきます。

この時期、忌野清志郎さんはライブ・エイドの日本放送版に「DANGER」で出演したり、「Merry Xmas Show」に出演したりなどしており、1987年には、初のソロアルバム「RAZOR SHARP」を発表します。

1991年、RCサクセションは無期限活動休止を表明し、RCサクセションの事務所「うむ」も解散したため、忌野清志郎さんは個人事務所「ベイビィズ」を設立。

そして忌野清志郎さんは、RCサクセションの解散以降、前にも増してさまざまなバンド・ユニットを渡り歩くようになります。

1994年には、プライベートスタジオ「ロックンロール研究所」を設立し、一方で俳優としての活動も始めます。
同年、映画「119」に音楽監督として参加し、翌1995年の第18回日本アカデミー賞で最優秀音楽賞を受賞しました。

忌野清志郎さんは、2006年7月13日、公式ウェブサイト「地味変」にて喉頭癌で入院することを発表。

そして、すべての音楽活動を休止しました。 忌野清志郎さんは、医者から声帯摘出手術をすると声が出せなくなってしまうと言われたため、手術を断り、一旦は放射線や抗癌剤での完治を図ろうとしました。

しかし、放射線治療は胃に穴を開けて流動食生活をしなくてはならない恐れがあり、それをしてしまうと唾液が出なくなってステージで歌うのは困難になるということを聞かされた為、入院後2週間で放射線治療も拒否して代替療法へ切り変えたそうです。

代替医療とは通常医療の代わりに用いられる医療の事です。

科学的・分析的な近代医学に頼らず、患者の心身全体の調和を取り戻そうとする医療だそうで、忌野清志郎さんが行った代替医療は玄米菜食法だそうです。

肉を摂らないで玄米と野菜を中心に摂取する食事法で、医者からは放射線治療をしないと癌が体全体に転移してしまうと言われたそうですが、放射線治療は拒否したそうです。

結局、抗がん剤と玄米菜食法、それから、サイクリングや友人ライブへの飛び入り出演などでリハビリをしました。
そして、完治をしたという事で2008年2月には日本武道館で「完全復活祭」を行いましたが、2008年7月14日、忌野清志郎さんは「地味変」上で、癌が左腸骨へ転移した事を発表します。

最期まで声帯摘出手術をしなかった忌野清志郎さん。

その、声帯摘出手術の有無が直接死因の癌性リンパ管症につながったかどうかはわかりませんが、自分の信念を貫いた忌野清志郎さんは本当のロッカーであるといえるのではないでしょうか。

ご冥福をお祈りします。

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