宮川花子 胃がん

宮川花子さんは、1988年10月末に胃癌を宣告されています。

宮川花子さんは、日本の夫婦漫才コンビである宮川大助・花子の一人であり、1955年8月28日生まれで、所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシーです。

宮川大助・花子は、「いつまでもあると思うな愛と金」などの名フレーズでお馴染みの、いわゆるしゃべくり漫才を得意とするベテランコンビですが、その一人の宮川花子さんは、1988年10月末に胃癌を宣告されています。

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宮川花子さんの経歴、芸歴は?

宮川花子さんは、大阪府大阪市出身で、弟子入り前の1973年には、半年間、大阪府警察城東警察署で交通巡視員をしていたそうです。

1974年、師匠のチャンバラトリオに入門。

1976年、宮川大助さんと結婚し、1978年3月長女・さゆみさんが誕生します。

1979年、宮川大助さんが妻であり警察官時代の経験を生かしてガードマンをしていた宮川花子さんを誘って「宮川大助・花子」を結成します。

コンビ結成当初は宮川大助さんがよく喋り、宮川花子さんがそれに相槌を打つ役割であり、また、宮川花子さんがハイカラさんの衣装で宮川大助さんが投げたりするどつき漫才もやっていました。

しかし、生傷が絶えなかったため、周囲の勧めもあって現在の宮川花子さんがよく喋り、それに対して宮川大助さんが相槌を打つスタイルに変更しました。
その後、そのスタイルで評判になり、上方漫才の賞をいくつも獲得。
現在の地位を確立しました。

胃癌であったことが発表されました。

しかし、1988年頃から宮川花子さんが体調を崩し、活動を一時休業することもあり、これが後に胃癌であったことが発表されました。
その頃は実生活でも絶望した宮川花子さんが荒れるなどして夫婦関係の危機もありました。

しかし、病気とともに夫婦の危機も克服し、以後は漫才のスタイルも多少変化が生まれ、宮川花子さんが宮川大助さんを一方的になじるような形から、宮川花子さんが宮川大助さんの人柄を観客に自慢するようなオノロケも見られるようになりました。

後に著書「愛をみつけた 大助・花子のおやオヤ日記」を出版し、同書はNHK総合テレビにおける「ドラマ新銀河」枠内にて「愛をみつけた」の題でドラマ化もされています。

漫才では宮川花子さんが主導権を握っていますが、「宮川大助・花子」のネタは全て宮川大助さんが考え、稽古の主導権も握っているそうで、宮川花子さんはそれに従うというスタイルであるそうです。
ただ、宮川大助さんは封建的なまでに亭主関白という訳ではなく、実際の夫婦仲は良いそうで、宮川大助さん浮気のスキャンダルが何度となく発覚していますが、公開謝罪会見を行うなどして、それすらもネタにする気骨を見せています。

大半の夫婦漫才コンビが離縁する中で、「宮川大助・花子」は数少ない現役夫婦コンビとして活動し続けています。

宮川大助さんが軽度の脳出血により入院

2007年2月、宮川大助さんが軽度の脳出血により入院し、加療をするために休業することが発表され、宮川大助さんの療養中は、宮川花子さんが1人で舞台に立っていました。

宮川大助さんが倒れた当初、宮川花子さんは娘のさゆみさんに「棺桶をもう一つ用意して」と告げており、心中をも覚悟したと後に語っています。

宮川大助さんはその後、同年5月24日にNGKにて復帰しましたが、復帰後も少し後遺症が残っているため、以前よりも舞台の回数を減らしているようです。

宮川大助さんの体調を考慮して、花子が1人で舞台に立つということもあるそうです。

また、2人の趣味はマラソンであり、宮川大助さんが倒れるまではホノルルマラソンに毎回参加していました。

宮川花子さんは、娘のさゆみさんと弟子のたま子さんと共に「宮川家の女達」というトリオでの活動も行っており、ネタは主にショートコントで、ネタの合間には「ババ、ママ、コドモ」というブリッジを交えています。
ちなみに、ネタ作りには宮川大助さんも関わっているそうです

。東日本大震災発生以後は、岩手県大船渡市を中心に被災地を頻繁に訪問し、弟子らを連れて支援活動や公演などを行っており、これがきっかけで、2013年6月10日、「おおふなと復興応援特別大使」に任命されました。
また、震災をきっかけに「吉本 ナショナルDreams」というマラソンチームも結成しています。

宮川花子さんは前述の通り、1988年10月末に胃癌を宣告されましたが、それは偶然見つかったものでした。

当時のマネジャーが、半ば強引に2人を連れて行った検診で見つかった宮川花子さんのピンポン玉大の腫瘍。
本人にはポリープと告げられた、その腫瘍の摘出手術は、検診から1カ月後には行われました。

宮川花子さんが術後の痛みと闘っているとき、宮川花子さんの母や宮川大助さんが心配していたのは、術後の病理検査の結果でした。

その検査結果では転移の可能性の有無が判明し、それはつまり命の期限の宣告を意味します。

1週間後、「99パーセント、転移の可能性なし」との医師の報告を聞いた宮川花子さんの母は、宮川花子さんに気づかれぬよう、洗面所で顔を洗いながら号泣したそうです。

胃壁は内側から、粘膜、粘膜下層、固有筋層、漿膜下層、漿膜という5つの層から構成されていますが、癌はもっとも内側の粘膜にできて、進行すると粘膜を突き破って筋肉に達します。
そして、さらに食い込んで漿膜まで破ってしまうと大腸や膵臓など多臓器に広がっていくため、胃癌の病期は、その大きさや形より、その深さ(深達度)と転移の有無で決まります。

つまり厚さ5ミリの胃壁のどこまで癌が達しているかが重要なのですが、宮川花子さんの場合、腫瘍の大きさはピンポン玉サイズあったものの、病理検査の結果が「99パーセント転移なし」という結果でした。

つまり、深達度が粘膜内に留まっている早期癌であったということが推察されます。

胃癌の再発期間は一般的に5年間と言われています。宮川花子さんは定期検査を欠かすことなく続け、無事に5年が過ぎたため、ほぼ完治したといえるのではないでしょうか。

今後も数少ない現役夫婦コンビとして活躍し続けていってほしいなと思います。

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