父が癌に。痛みとの闘いについて【体験ブログ】
ガンの痛みは、本人にしかわかりません。
父がガンになったときに、静かに顔をしかめている姿を見ました。
少しイライラもしていました。
その頃は、まだ飲み薬で痛みを抑えることができました。
亡くなる1ヵ月くらい前です。
1日中痛むのではなく、夕方になって日が暮れると痛むようでした。
薬を飲んでしばらくすると痛みは和らぎました。
このころは、普通の鎮痛剤で抑えることができていました。
痛みが強くなると、麻薬を使うことになると説明を受けました。
父の担当医師と、私と兄の3人で面談がありました。
私も兄も離れたところに暮らしているために、父の最期についての話がありました。兄は毎週末、片道4時間車を運転し家に帰ってくれていました。
最期はいつ起こるかわからないこと、明日かもしれないことなどです。
自宅療養中で、家の中ではまだ自由に動いている父の最期というのは実感がありませんでした。
この先、痛みを取り除くだけの治療になるという説明がありました。
痛みは我慢する必要はなく、薬の種類は色々あるので強い薬に変えていくという話でした。
治療で痛い思いをたくさんしているので、これ以上は痛い思いはしなくても良いと言われました。
テレビのイメージでは、痛みから解放されるために麻薬を使って意識がもうろうとし、寝たきりになって家族のことも分からくなるのだと思いました。
父は、ガンの痛みは大きかったようです。
実際は、最期まで痛みと戦うことになりました。
痛み止めが効かず、追加の痛み止めをもらいやっと眠ったので、疲れ切った母が家に帰った後亡くなりました。
最期まで痛みで吐いていました。
強い痛み止めは使っていないようでした。最期まで意識があり、母と会話ができました。父にとってはつらかったのですが、家族にとって救いでした。
父がお世話になった病院は、家族が許せる限り自宅で過ごしていいという考えの病院でした。
いつでも入院ができるように、病院と連絡が取れるようになっていました。
家で見るのが大変になったら入院しましょう、最期を家でみとってもいいですとも言われました。
父は、亡くなる前日に入院になりました。
診察日で病院へ行くと、脱水症状を起こしていると言われました。
父は、もう家に帰れないことを悟ったそうです。
母も、父の息が荒くなっているのに気が付いており、そろそろだと覚悟を決めていました。
ガンの痛みは、私にはまだわかりません。
しかし、もっと痛み止めを増やしてほしかったという思いと、体の機能を緩やかにしてまでも使った方が良いのかは難しいところです。
今でも思い出すと結論は出ません。
ガンによる治療法は、どんどん進んでいます。
良い治療薬や痛み止めがたくさんできることを期待しています。