藤子不二雄Aさんの場合は?【癌の芸能人・有名人】

2013年に初期の大腸癌の摘出手術を受けている藤子不二雄Aさん
藤子不二雄Aさんは、日本の漫画家であり、本名は安孫子 素雄といい、コンビを解消した後はこの本名で紹介されることも多いそうです。
そんな藤子不二雄Aさんは、2013年に初期の大腸癌の摘出手術を受けています。
藤子不二雄Aさんの経歴は?
藤子不二雄Aさんは、現在の氷見市である富山県氷見郡氷見町の光前寺という古刹に、曹洞宗49代目住職の息子として生まれます。
しかし、藤子不二雄Aさんは1944年、父を亡くしたため高岡市に転居します。
そして、転入先で現在の定塚小学校である高岡市立定塚国民学校において、将来に藤子不二雄としてコンビを組むことになる藤本弘さんと知り合います。
藤子不二雄Aさんは、小学校時代から漫画家になることを目指しており、富山県立高岡高等学校に在学している1951年において、毎日小学生新聞に漫画が掲載されてデビューを果たします。
藤子不二雄Aさんは、高校卒業後は伯父が専務を務める富山新聞社に1952年入社。
富山新聞社の社会部や学芸部でインタビュー記事や似顔絵を担当します。
しかし、藤本弘さんに誘われて1954年に新聞社を退社し、漫画家になるために藤本弘さんと上京します。
上京後、藤子不二雄Aさんは「オバケのQ太郎」、「魔太郎がくる‼」、「忍者ハットリくん」などのヒット作を発表しますが、厳密にいうと藤子不二雄という2人の合作によるヒット作は「オバケのQ太郎」が最後となっています。
そのため、これ以降の作品は藤子不二雄という名前で発表していても、そのほとんどはどちらかによる単独作品となっています。
そんな中、藤子不二雄Aさんは1987年にコンビを解消。
以後は藤子不二雄Aとして活動するようになり、コンビ解消後は多彩な才能を見せ、映画「少年時代」をプロデュースしたりという活動もしています。
また、藤子不二雄Aさんは文章にも優れていることから、エッセイにも才能を発揮しています。
そんな藤子不二雄Aさんは、2012年末に大腸癌が発見され、2013年3月に摘出手術を受けました。
藤子不二雄Aさんは、2012年末に手にイボが発生してそのイボが大きくなり、裂け始めたので医者に行ったそうです。
そして、医者に診せたところ「もしイボが悪性である場合、それが転移するおそれがあるのでちゃんと調べた方がいい」と言われたそうです。
そして、精密検査を受けたところ、いきなり癌の疑いが発覚したとのことです。
その後、さらに内視鏡で詳しく調べたところ、大腸に癌があることがわかったそうです。
手術は約4時間半という長丁場だったようですが、無事に成功
そして、この癌の摘出手術を2013年3月に行い、その手術は約4時間半という長丁場だったようですが、無事に成功しました。
しかし、藤子不二雄Aさんは、手術後に出血してしまったそうで、ICUで4日間もうなされていたそうです。
そのICUにいる間に、藤子不二雄Aさんは、大勢のドイツ人にソーセージを無理やり食べさせられる悪夢を見たとのことです。
また、田舎をさまよっていたら、藤子不二雄Aさんが青春時代を過ごしたトキワ荘を見つける夢も見たそうです。
そのトキワ荘には、赤塚不二夫氏、石ノ森章太郎氏、手塚治虫氏、寺田ヒロオ氏がいて、2階の窓から手を出して呼んでいたそうで、そこに行こうとしたときに揺り動かされて、ハッと目が覚めたそうです。
このような臨死体験をした藤子不二雄Aさんですが、その後は復調し、医師に「驚異的な回復力」と驚かれたそうです。今後も元気に長生きしてほしいなと思います。