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祖父がすい臓ガン末期になり、亡くなるまで。【体験ブログ】
私の祖父はすい臓がんで亡くなっています
死亡した際に私は祖父と同居をしていて、調子が悪くなってから、亡くなるまでの経緯をともに歩んできました。
祖父が体調不良を訴えたのは、癌で亡くなるちょうど1年前のことでした。
食欲がない、食べたらつかるような感じがするということを頻繁に言っていて、自分でかかりつけの内科などを受診していました。
しかしそこでは血液検査など異常なしと言われたようで、本人はおかしいなと思いながらも
「87歳という高齢のせいかな。今まで元気すぎたのかもしれない」
と口にしていました。
私は原因はメンタルだと思い込んでしまっていて、祖父の訴えは気のせいかなと疑っていました。
祖父がベッドで休む時間が多くなりました
。
体調不良を訴える1年前に祖父からしたら息子である私の父が50代前半で急死しており、ストレスからメンタルに不調をきたしていると思ったのです。
家族の意見もそれで一致していて、しんどくなるのも仕方がないぐらい辛いことがあったからかなと思っていました。
しかし祖父の体調不良はずっと続き、それまでは畑に出たり山で作業をしたり元気だったのが、ベッドで休む時間が多くなりました。
食事の量もかなり減り、食べられないということが重なって痩せて行き、何か原因があるのだろうと思い始め、総合病院に一緒に受診しました。
その時が亡くなる半年前なのですが、CT検査をしたところ特に異常がなく、でも「すい臓のあたりがわかりにくいけれどもちょっと影があるようなはっきりと映っていないような感じがある。詳しく調べたかったら検査しますよ」と言われていました。
祖父は検査に行った時にも椅子に座っていられないほど疲れていて、ベッドに横になって時間を待っていた程でした。
早く帰りたいということで詳しい検査は断って自宅に戻り、そこから3ヶ月経過してもやはり体調は戻らずに、今度は検査入院をすることになりました。
そこですい臓がんの末期だということを知りました。
CT、血液検査などをした結果でわかったようで、医師から別室に家族が呼ばれ、余命は3ヶ月という
厳しい状況を言われました。妻である祖母は泣いていました。
本人に知らせるかどうかというところでしたが、気持ちの強い人間だということ、本人があいまいな状況が嫌いというタイプであるために、本人に知らせようということで家族の意見が一致して、告知をしました。
祖父は「教えてもらってありがとうございます。」と言っていました。
そこからは抗がん剤治療をしてももう遅いということで、本人も副作用に苦しむのもしんどいからいらないと断っていました。
自宅で過ごしながら最期を待つという選択をして、退院をしてきました。
退院をしてきてからも食事は相変わらず進まなかったのですが、医師の往診を受けながら体調を管理していました。
ベッドでほぼ横になり、日記などはつけて過ごしていましたが、その日記を死後に読み返してみると、自分でも助からないと分かったことが書かれていました。
「家族の支えを受けて闘病をしてきたけれども、病に勝つことはできなかった。
でも私は感謝をしながら悟りの世界に行くよ。ありがとう」の一文が祖父の気持ちだと思いました。
癌の末期というと痛い、苦しいと言いますが、祖父は痛みは全くなく、痛み止めを使用することはなかったです。
最期にはやせ細っていて、特に亡くなる1ヶ月前からは衰弱が激しく、骨と皮だけのような状態になりましたが、「気持ち悪い」「つかえる」というような状態でしんどかったようですが、痛いとは一言も聞きませんでした。そしてちょうど余命の頃に、眠るようにして他界しました。
すい臓がんは色々ある癌の中でも発見した時点でかなり進行している、そして自覚症状がないという癌のようです。
祖父の場合も食欲がないと自覚した時点でもう末期だったのではないかと推測しています。
祖父の場合は余命を知らせたこと、癌であると納得がいった時点で、気持ちがなぜ体調が悪いのか?といった不安感から、できれば癌を克服したいという前向きなものに切り替わったようで、取乱したり心が揺れたりは全くなかったです。
年齢的なものと本人の人格によるものかなと思い、亡くなる間際の様子からも色々と学ばせてもらったように思います。”