王貞治さんの場合。胃の全摘手術。【癌の芸能人・有名人】

2006年、胃に腫瘍ができていることを発表し、同年に胃の全摘手術を受けています。
王貞治さんは、1940年5月20日生まれで、中華民国籍の元プロ野球選手・監督であり、現在は福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長および日本プロ野球名球会顧問を務めています。
そんな王貞治さんは、2006年、胃に腫瘍ができていることを発表し、同年に胃の全摘手術を受けています。
王貞治さんは、東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)で中華民国籍(浙江省青田県(現・浙江省麗水市青田県)出身。1922年渡日)の王仕福さん、日本人(富山県氷見市出身)の登美さん(旧姓: 當住)の次男として生まれます。
父・仕福さんは自分の出身地が医師と電気が全くなかったことから長男・鐵城さんを医師に、二男・貞治さんを電気技師にして、兄弟ともに母国に戻り働いてもらいたいと考えていましたが、貞治さんが第一志望だった進学校の都立墨田川高校に落ち、早稲田実業学校高等部商業科に進学することになました。
当時、墨田川高校には硬式野球部がなく、後に王はこの受験失敗を「人生の大きな分岐点の1つ」と振り返っています。
早実高等部時代は、1年生の時に外野手兼控え投手としてチームの夏の甲子園出場し、1年生の秋よりエースとなります。
3年生時にプロ野球の各チームが熱心に誘ったが、特に熱心だったのが王に縁の深い甲子園を本拠地とする大阪タイガース(現在の阪神) であり、各新聞も「王、阪神へ」と大きく報道しました。
親も高卒選手の多い阪神を薦めていたため、当初はスカウトに参戦していなかった巨人が急きょ「大学に行くと聞いていたので獲得に乗り出さなかったが、プロに行くならぜひうちへ」と獲得参戦してきました。
もともと東京で生まれ育った王貞治さんは「プロに行くなら巨人」と考えており、気持ちは非常に揺れ動いたのですが、最後は自分の気持ちを貫き、巨人入団を決めました。
王貞治さんは、当初は投手として入団
監督の水原茂さんに「王、お前はピッチャーとして大成しない」と言われ、すぐに一塁手に転向しました。
オープン戦で5本塁打を放つなど順調にシーズンを迎え、4月11日の国鉄スワローズとの開幕戦では高卒新人ながら7番・一塁で先発出場を果たしました。
4月26日後楽園球場での宇野光雄率いる国鉄との6回戦(ダブルヘッダー第2試合)では、スコア0対0で迎えた7回表に放った公式戦初安打が決勝2ランホームラン(出場11試合目)となり、これが王貞治さんの記念すべき1号本塁打となりました。
1961年シーズンオフ、荒川博さんが巨人の打撃コーチに就任し、王貞治さんをつかまえて「今日から一本足で打て。三振を怖がるな」と命じたそうです。
ただ、王貞治さん本人によると、「一本足を始めた経緯は記憶が定かでない。(中略)僕自身は普通の打ち方で打ってるつもりだった。
でも、4年目のシーズン中にどうしても食い込まれることが多くて、それならいっそのこと右足を上げて打ってみろと。
その打席で大爆発した」と語っています。この年(1962年)38本塁打・85打点で初めて本塁打王と打点王を獲得し、これ以後、王貞治さんは引退まで一本足打法を貫いて、この打法で822本塁打を記録しました。
後にこの打法で本塁打記録が達成され、アメリカのメディアからは「フラミンゴ打法」とも言われるようになり、その影響から、メジャーリーガーには「フラミンゴ・サダハル・オー」と呼ぶ人もいるそうです。
1981年から1987年までは後楽園球場、1998年から現在は東京ドームの1番ゲートは「王ゲート」と称されており、そのモニュメントで再現されています。
そして、翌1963年、初めて打率3割・40本塁打を記録し、2年連続で本塁打王を獲得したことで、長嶋さんとのコンビを「ON砲」と呼ぶ呼称も定着し、巨人の二枚看板を背負うようになりました。
王貞治さんの記録したシーズン公式戦通算本塁打868本は日本プロ野球記録です。
これは、ハンク・アーロンが保持していたメジャーリーグ通算本塁打記録の755本塁打を抜いた事で知られています。
その他、数々の日本プロ野球記録を保持しています。
現役引退後は巨人、ダイエー・ソフトバンクで監督を歴任し、2008年シーズン終了と同時にソフトバンクの監督を退任し、同球団取締役最高顧問に就任。2009年1月1日には、取締役会長に昇進し、第1回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の優勝監督となりました。また、ワールド・ベースボール・クラシック第2回大会では監督相談役、同第3回大会では特別顧問を務めています。
現在は福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長、日本プロ野球組織(NPB)コミッショナー特別顧問、読売巨人軍OB会前会長、日本プロ野球名球会顧問、(ハンク・アーロンともに提唱された世界少年野球大会を主催する)世界少年野球推進財団理事長、外務省より委嘱の野球特別大使、「ふるさと清掃運動会」実行委員長を務めています。
そんな王貞治さんは、2006年7月5日に福岡Yahoo!JAPANドームで行われた対西武戦の終了後に記者会見を開きました。
そこで、胃に腫瘍ができていることを発表
翌日より胃の上部に生じた癌の治療のためチームを離れ休養に入りました。
この時の監督代行はWBC開催時同様、森脇さんが務めています。
粘膜下層までの浸潤、1群リンパ節転移というのが王貞治さんの胃癌の手術前診断であり、2006年7月18日、腹腔鏡下において胃全摘・Roux en Y法再建と2群までのリンパ節郭清が慶應義塾大学病院で行われました。
同年8月2日に退院・記者会見が行われましたが、術後の病理診断結果は公表されていないそうです。
進行胃癌ではほとんど行わない、腹腔鏡下での手術を行ったということは、王貞治さんの胃癌は進行胃癌ではなさそうです。
今のところ癌が再発したという情報もないようですので、徐々に回復していっているのではないでしょうか。
また、球場での元気な姿が見られるまで回復されれば良いなと思います。