37歳の時に乳癌発見。温存治療か全摘手術か。【体験ブログ】
乳癌になり、抗がん治療を止めてある日温存治療というものを知りました。
37歳の時に乳癌が見つかりました。
癌治療の知識は浅く全摘をするつもりで進めていたのですが、ある日温存治療というものを知ります。
当時私の住んでいる地域ではその治療方法を施す病院は無く本などで調べ遠方の温存治療を行う病院を受診します。結果この病院でもリスクがあるということで全摘を勧められてしまいます。
全摘には術後リハビリが必要なことそして生活にも支障が出ること。切除の形状のこと等、知人を通してある程度の知識はあり一度は決めていた全摘ですが迷いが生じたことを思い出します。
当時、私は末娘と一緒に寝ていて迷った末に娘が無意識に弄るおっぱいを残す温存治療を選びます。
温存治療はその腫瘍部分を摘出し、その後放射線治療を受けるのですがその放射線治療のダメージは辛いものです。
入院中は子供達とも離れ夫にも負担をかけました。
退院後は放射線治療の為の通院です。
遠方の病院の為行きは良いのですが帰りはその影響で這いつくばってやっと家にたどり着く。
豊かだった頭髪は半分程になり、涙は無意識に流れてきます。
起きているのも辛く一日ソファーに横になっていて子供達の相手はもちろん家事をするのもやっと退院後も家族に大きな負担をかけてしまっていたのです。
全摘してもリハビリ等々で大変、温存も放射線治療のダメージで大変どちらを選んでも結局は大変。
とても辛い時期でした。
既に何度か治療を受けて居て、体力が戻って来た頃にまた放射線治療の為に出かける。
受ける前はこうして元気に…普通に…家族と過ごしているのに…。
治療を受けるとダメージから何も出来なくなる。
治療の後遺症、ダメージの酷さから逃げ出したい気持ちがあったのかもしれません。
悩んだ末に私は放射線治療を止めるのです。止めると決めてからも正直不安だらけです。
それでも日々の些細な事柄の中に喜びや驚きを見つける毎日でもありました。
そんな日々を過ごしながらも私は旅行でハワイに出かけフラダンスと出会います。
現地の人の踊る姿になにか腹の底からこみ上げるものがあり涙が出ました。
泣いているのにとても晴れ晴れとしているのです。
旅行から戻り地域のフラダンスの教室に入ります。のめり込みました。
常に病の不安は頭の隅にありましたがフラダンスをしている時は忘れられたのです。
ハンドモーション(手の動き)には意味があり丁度手話の様でその言葉にも癒されました。
フラダンスは見た目よりかなりハードなダンスです。
夢中で練習し筋肉痛になる程。
しかしそれは放射線治療の後遺症のだるさとは違う健康的な疲れということは自分が一番知っていたのです。
少しずつ体力が付き頭の隅にあった癌への恐怖は気がつけば忘れていることも…。
そしてもっと深くフラダンスのこと知りたいと思う様になっていたのです。
良い先生に恵まれ今もフラは続けています。
そして此れからも続けるつもりで居ます。
乳癌になり、自分で選択した治療が良かったのかどうか?そしてどちらにしてもその後遺症は苦痛であること。
私の場合ふと苦痛の外側にあった体の声や日々のことに気付けた事、そして何より夢中になれるフラダンスに出会えた事で何かが少しずつ変わった事は確かであると感じています。
この奇跡を大事にしたいと思っています。