吉井怜さんの場合。急性骨髄性白血病発症。【癌の芸能人・有名人】
急性骨髄性白血病という重い病気に侵されていた吉井怜さん
吉井怜さんは、1982年3月18日生まれで、ホリエージェンシーに所属している日本の女優・タレントです。
また、本名は山崎 怜ですが、旧姓は飛知和というとても珍しい苗字となっています。
そんな吉井怜さんは、グラビアアイドルから、演技派女優に華麗に転身した印象がありますが、その影で急性骨髄性白血病という重い病気に侵されていたそうです。
吉井怜さんの経歴・芸歴は?
吉井怜さんは、父親の勤務の都合で小学生時代の一時期を北海道で過ごし、その後上京して、現在の東京都立杉並総合高等学校である東京都立永福高等学校を卒業します。
そして、1996年、「IT’sアクセス」というテレビ東京の情報番組でテレビデビューを果たし、そのデビュー当時は清純派アイドルでした。
その後、1998年に、「仮面天使ロゼッタ」というテレビ東京の特撮番組のヒロイン・神あすか役で、初主演を果たしブレイクしました。
1999年、所属事務所の親会社・ホリプロに所属している優香さん、堀越のりさん、唐沢美帆さんと共に1か月の期間限定音楽ユニットNITROを結成し活動します。
また、吉井怜さんは同年度のフジテレビビジュアルクイーンに選出されました。
2000年に急性骨髄性白血病を発症
2000年、吉井怜さんは奄美大島でのグラビア・カレンダーの撮影時において、急性骨髄性白血病を発症しました。
2004年には、映画「火火」で無菌室に入院した癌患者の世話をする役を演じましたが、前述の病気を患っていたという経験から、精神的に苦しかったということです。
2006年に公開された映画「LOVE MY LIFE」においては、オールヌードを披露しています。
2009年4月に開始した昼ドラマ「エゴイスト ~egoist~」では、川島なお美さんの演じるトップ女優の隠し子役として、11年ぶりに連続ドラマ主演を果たします。
そしてこれが、全国ネットのテレビドラマとしては初主演となりました。2011年、デビューから15周年記念写真集「ここから」では大胆ヌード写真を披露。同年11月公開の映画「夕闇ダリア」では略奪愛を行うヒロインを演じ、また、「寄性獣医・鈴音 GENESIS×EVOLUTION」では神楽坂恵さんとハードなバトルアクションを演じています。
2012年5月には、写真集「SOSEXY 吉井 怜 “Falling Angels” by Shingo Wakagi」が発売。そして、2016年11月11日、俳優の山崎樹範さんと結婚したことを自身のブログで発表しました。
芸能生活がおしまいだと絶望感を味わうも・・・
前述の通り、吉井怜さんは2000年に急性骨髄性白血病を発症し、その病名は両親にだけ伝えられました。
そして、骨髄不全症から来る再生不良性貧血で3か月の入院が必要と告げられ、医師から治療(抗がん剤投与)の副作用から髪の毛が抜け落ちると告げられたため、吉井怜さんは芸能生活がおしまいだと絶望感を味わいました。
しかし、当時の専務の
「そんなこと心配するな。今は病気を治すことだけ考えろ。待っているから」
という言葉にはげまされたそうです。
入院から1週間後、点滴治療(実際は抗がん剤治療)が始まり、それと同時に吉井怜さんは、一般病棟から無菌室に移されました。
ガラスで仕切られた狭い空間での闘病生活は、精神的にも大変つらかったそうです。
吉井怜さんが本当の病名を知らされたのは、入院からひと月ほどたった頃であり、 1回目の抗がん剤投与が終わり、休薬期間に入って体力が回復してきたところで主治医は白血病という本当の病名を告げました。
入院したての頃、吉井怜さんは精神的にかなり参ってしまっていたとのことで、告知のタイミングを見計らってくれていた主治医の先生に感謝しているそうです。
吉井怜さんに対する抗がん剤の投与は4回行われた
急性骨髄性白血病の治療は、骨髄の中の白血球細胞が5パーセント以下になる「完全寛解」の状態にすることを目的に行われます。
しかし、1回の抗がん剤投与で5パーセント以下になっても、投与をやめてしまうとまたすぐに白血球細胞が増加するので、残存している白血病細胞を叩く目的の抗がん剤投与を行って再発を防ぐようになります。
そのため、吉井怜さんに対する抗がん剤の投与は4回行われ、退院まで5か月かかっってしまいました。
医師は彼女に寛解維持療法と骨髄移植の2つの方法があり、母親とHLAが一致することから骨髄移植を勧めました。
しかし、吉井怜さんは芸能界復帰がかなわなくなることを恐れ寛解維持療法を選びました。
自宅に戻ることはできましたが、すぐに芸能界には復帰できませんでした。
そこで、兄の「生きてなかったら仕事も何にもできないし、爆弾を抱えて復帰しても、もし再発してまた入院ということになったら、今度こそ戻れなくなるぞ」という言葉で骨髄移植を受ける決意をしたそうです。
2001年7月11日、母親からの骨髄提供により骨髄移植を受けましたが、その移植後は移植片対宿主病(GVHD)も加わり、10日間ほどの記憶を無くしているそうです。
また、血液型がA型からO型に変わりました。
その後、この吉井怜さんの闘病記「神様、何するの」(2002年)はベストセラーとなりました。
そして、2003年末にはフジテレビの番組「金曜エンタテイメント」内で宮地真緒さん主演でドラマ化もされています。
「長くてつらい闘病を経験し、そこで人間の弱さを知り、変に完璧を求めすぎなくなりました。
それによって自然に自分を出せるようになり、女優としてやっていく自信がつきました。
今後も背伸びせず、自分だからできる役、そのときの自分にしかできない役を演じていきたい、と思っています」
と、吉井怜さんは語っており、白血病とのつらく長い闘いは、彼女が女優として生きていくうえでの精神的な基盤を作ってくれたように感じます。
これからも女優としての存在感を増していき、活躍していってほしいなと思います。